猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

言葉の鋭さ

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不適切発言ってそれこそもう何年も前からあって、そのたびに炎上→謝罪→ペナルティのループがなされて、見るたびまたかよとげんなりしつつ、これはもう今後半永久的になくならんのかもしれんと思ったりするのだが、今更ちゃんとこの機会に書いておこうとおもったのは、中身を見てみると気づくのが、「言っている事自体はそれほどおかしいことではない」ということだった。

↑の件もそう*1なのだが、この人の言いたいことは「(自分にとっての)理想の男性は身長が170cm以上ないといけない」ということで、出会い系の条件にも身長がある中で、それ自体が特別尖った意味を持つものではない。ただその言意が歪にラッピングされて、こういう発言になったのだと思っている。スポンサーらが「不適切」と断じているのは中身ではなくその包装なのだ。

SNSや様々な配信プラットフォームによって、「誰もが」言葉を「手軽に」「不特定多数」に伝える可能性を広げた。バズることがそのアカウントという人格で生きる上でのステータスとして捉える人もいる。大量の情報に素早くアクセスできる今の世の中にとって、世の中が重視するのは丁寧に紡がれる言葉よりも、短絡的に読む人の脳を捉えるような簡潔さ、鋭さになりつつある。

だとするなら、こういう不祥事を間接的に許し続けてきたのが、自分も含めた現代を生きる人々たちなのだろう。世間にウケが良いように言葉を包み、発信し、支持を得る快楽。端的でありながら過剰で、鋭さを持った言葉はバズり、あちこちから寄せられたインスタントな「いいね」が承認欲求を満たす。そしてもう一度その快楽を味わうために、あちこちでラッピングが繰り返される。麻薬のような永久機関は、やり方を間違えれば大いなる毒が宿るのだということを、両者とも、いつしか忘れてしまう。

 

自分が折に触れてたまに読み返す記事がある。この中の一文がとても興味深い。

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この事件を起こした人間はけしからんと思うし、ひどいことだと思うけれども、だけどこの社会が作ったんですよ、間違いなく。この時代が作ったんですよ、間違いなく。この人を理解しなかったら我々は、我々が生きている時代と社会ってものを理解できないってことなんですよ。 

 

勿論このような不適切発言自体には正しい償いがあるべきだと思っている。しかし、その「正しさ」とは何なのだろうか。誰がいつどうやって決めたのだろうか。誰もわからないまま、ネット上の相互監視や「正しさ」「清らかさ」の強要は増していく。

今まで受け入れられてきた歪な言葉の中に思いがけず混じってしまった一匙の毒によって梯子を外され、釈明の機会もないままにトカゲの尻尾のように切られ、仄暗い中に閉じ込められる。そして私達は絶え間無くやってくる情報の濁流に押し流され、このことを顧みることすらしないまま過ぎていくだろう。だけど、それが時代が選んだやり方なのだ。

この時代を変えない限り、この手の不祥事はなくなることはなく、多くの人から数日と経たないうちに忘れられ、ネットの塵となって風化してどこかに堆積していく。あとに残るのは社会的地位を剥奪された発言手だけだ。こういったことが何も疑われることなく繰り返されていく。「またかよ」とげんなりする我々のような1小市民たちによって。

これを変えることは根本を覆すことであり、相当に難しいのではないか、と思っている。情報の選別や吟味にかける時間もなく、無意識的であれ意識的であれ、多くの人がSNSに色々な意味で依存し、大量の情報が消費されることが肯定されている時代において。

*1:だと個人的には思っている