今更、こんな記事を見つけてしまったので、
大変に今更ながら自分の考えを書いてみる。
行為だけ見れば、喧嘩両成敗ではないが、佐々木朗希投手にも白井球審にも両方に落ち度があるように見える。双方とも「感情がコントロールできていなかった」というのはある意味でその通りなのだろう。
ただ、この件の本質って、↑にあるような、審判のレベルがどうとか、批判ばっかりされるから大変とかミスはつきものだから叩くなとか、そういう話ではないんじゃないの?ということです。まあ、佐々木朗希投手だったからあれだけセンセーショナルになってしまったというのはあると思うけど。
(あの場面だけ見たら、20歳そこいらの若者二人にオラつく中年のおっさんの構図って、なかなか厳しいものがあると思うんだけどな。選手と審判という関係性を含めても)
憶測でしか論じられない
この件で、個人的に一番問題だと思っていることは、当事者である白井球審も、千葉ロッテマリーンズ側(佐々木朗希・松川虎生・井口監督など)も、当時のあの一連の行為の意図や背景について公にコメントしていないことだ*1。
一件を振り返って、軽く考えるだけでも、自分は双方に対して以下のような疑問点がいくつか浮かんでくる。
- 佐々木朗希投手
- 松川虎生捕手
- 白井球審
もちろん、答えなくても良いことも含まれているだろうが、肝心なのはあの件について判断できる情報、特に背景や当事者による行為の意図がほとんどないということだ。それらがわからなければどうなるか。経緯を部外者が推測で判断するしかなくなる。「あれは〇〇だったのだろう。だから××が悪い」といった形だ。
本当は佐々木朗希投手はストライク/ボールのジャッジが不服だったわけではなかったかもしれないし、本当は白井球審は恫喝するつもりはなくて、「今のは審判から見たら侮辱行為に見えるから気をつけたほうが良いよ」ぐらいのちょっと気の利いたアドバイスをするくらいのつもりだった可能性もある。こういう情報があるだけでも受け止め方はだいぶ変わるはずだし、白井球審にとってもいわれのない非難に対する多少の弁明の機会にもなるはずなのに、誰も何もコメントしないので、判断材料がない。そうすると当事者に対する過剰なバッシングや擁護といった、極めて不毛な場外乱闘がネット上で起こることになる。
審判がなければ試合は始められないのは確かにそのとおりだが、その試合に金を払って見ている観客がいるということを忘れないでほしい。あの試合を球場で見ていたファンからすると、「マウンド上の投手に審判が詰め寄って捕手が宥めている」という特異な光景に対して、一切の説明が試合中も後もなされないということであり、それが異常では?と感じるのは自分だけではないと信じている。
余談として、上記の前提は
のであれば話は別である。
ただしファンは置き去りのままなので、それが良いのかどうかは別の問題として残る。
審判の地位を貶めているのは誰か
この件に関連して、当時のSNSではそもそも審判の仕事の大変さや本来あるべき権威について理解すべきだと言った↑の記事のような意見をよく見た。私は野球をほとんどやったこともなければ、審判の勉強をしたこともない、ただの1プロ野球ファンである。その立場として言うならば、「審判の権威に傷をつけているのは他ならない審判自身の振る舞いである」と思っている。
ジャッジの透明性について
まず、審判の判定に対する説明は致命的なレベルで明瞭さを欠いている。昨今はリクエスト制度の定着で頻度は減ったが、導入前のリプレイ検証時、審判が説明するシーンは、どうしても要領を得ないケースが多い。
これはまだいい方。
出羽守になってしまうのは非常に心苦しいのだが、サッカーやアメフト、ラグビーなど、他のスポーツ競技を見ていて、野球の審判と決定的に違うのは「判定ややりとりに透明性がある」ということである。アメフトやラグビーの場合、主審にピンマイクがついていて、ジャッジのコールや選手とのやり取りを第三者からも明瞭に把握することができる。言い換えれば「ラグビーやアメフトの試合では今回のようなことはめったに起こり得ない」ということだ。
ストライクゾーンの精度について
冒頭の記事(https://number.bunshun.jp/articles/-/853100?page=4)から抜粋する。
アマではボール1個分くらい外れていてもキャッチャーがいい音を鳴らして捕ればストライクになることがありますが、プロの審判はそれがほとんどありません。自分のゾーンが確立されています。
(中略)
今回もあの1球だけ切り取ればストライクだろうと思う人も多いかもしれませんが、試合を通じて低目のボールには厳しかった。
「自分のゾーン」とか「低めに厳しい」とか、こういうところなんだよな、としか思えない。そもそもストライクゾーンは公認野球規則で明瞭に決まっている*3わけで、100人の審判が100人同じゾーンでストライク・ボールをジャッジしなければならないはずだ。もちろん捕手側のボールをストライクに見せる捕球技術との駆け引きもあるだろうが、原理原則としては「同じ軌道のボールはすべて同じジャッジになる」はずである。なぜその日の審判のジャッジの特性に投手側が寄せなければならないのか?だからストライク・ボールの判定をロボットにやらせたらええんちゃうんかという論になったのである。それをやれ尊厳だなんだという抽象的な概念で混ぜっ返していい問題ではない。
審判も人間だからミスをするというのは、人間が審判をしている以上否定しない。ただし、一つのジャッジミスが試合を左右しかねないという特性上、また審判の尊厳を守るためにも、あのとき適切なジャッジができていたのかどうか、次の試合までにどう修正すればよいか等、判定の精度について振り返る機会が必要だと思う。*4
より踏み込んだことを言えばメジャーのようにストライクゾーンを可視化し、この日の審判はボールゾーンを何球ストライクとコールしたかなど、ゾーンの精度について詳らかにしても良い。「ストライクかボールの判定に異議を唱えることが許されない」のならば、これくらいの透明性はあって然るべきだ。
ロボットは完全に代替できない、からこそ
審判の役割は判定だけではなく、試合を円滑にすすめるということも含まれる。選手交代を管理したり、雨天時に中止にするか、途中で中断するのか続行するのかというのもそれである。そういった判断の絡む部分は、何らかシステムとして機械的に判定できない部分もあり、一朝一夕には代替できないと思っている。つまりはもっと根本的な部分で当分は人間が審判を務める時代が続く。
ミスはつきものであるとしても、それが試合を左右しかねないからこそ、ミスしても良い理由にはならないし、ミスを弁明しなくても良い理由にはならないし、ミスを認めなくても良い理由にはならない。この件をきっかけにして、現代のプロ野球の審判に求められるものはなにか、審判がファンや選手らから尊厳を得るために必要なことは何か、様々な視点から議論が進んでほしいと思う。
*1:井口監督は「冷静にさばきましょう」みたいなことを言ってた気がしていて、当時のいきさつを知っているのかいないのか、は判断できない
*2:もちろん、佐々木朗希投手にも、千葉ロッテマリーンズにも限らない
*3:今回のことを調べていて、公認野球規則は書籍化されているものを買わなければオフィシャルの情報には辿り着けないということが分かった。だからファンサイトにはなるが、
yokouchibaseballclub.web.fc2.com
こういったサイトで調べている限りにおいて、という注釈がつく。1000円ぐらいで買えるので自分も入手してみようかなと思っている
*4:こんなところで書かずとも当然やっているのだと思うし、そうあってほしいのだが。