猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

この身は誰がために

 

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金曜日の夜中にその情報はやってきた。

眠気が一気に吹っ飛んだ。

 

いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、わかってはいたけれども、とても険しい。

険しいね。

 

ブログにも書いてあるとおり、しーちゃんは1月に1度、留学のためグループを離れるという決断をしていて、しかしこのご時勢であるため、3月ごろに戻ってきてまた活動してくれています。そういうことがあったので、状況が許せばまた留学のためにグループを離れてしまうのだろうなとは思っていましたが、そうか、このタイミングか・・・、しかも卒業か・・・と。

 

しーちゃんは自分が初めて好きになったアイドルでした。柔らかくて、しなやかで、繊細で、マイペースで、いつも笑顔で、グループに対する愛にあふれていて、絵が上手で、自分の目には一番輝いて見えた人でした。しーちゃんの一挙手一投足に癒やされて元気をもらっていました。

いわゆる「推しメン」というやつなのですが、人生で推しメンが卒業するのが初めての経験なもので、週末ずっとどうにか気持ちの整理をつけねばと悶々としていました。どう考えたところで事実が変わるわけじゃないのに。

 

活動休止の時にも書いたことですが、アイドルとしてではなく、一個人としてやりたいことがあるなら、それはファンとして尊重すべきだし応援すべきだと思っています。しかしこれからもある意味当たり前に続くと思っていたものが突然閉ざされたこと、櫻坂としてのしーちゃんを見ることができないこと、(しーちゃんは11月が誕生日なのですが)それを祝うことができないことが、なかなか割り切れない要因のひとつなのかなと思っています。

 

また、これは個人的な事情でもあるのですが、僕は自分のために頑張るという事ができなくて、常に自分の外にある何かや誰かのために頑張るという形で乗り切ってきました。それは時に野球チームであり、アーティストであり、漫画であり、アニメや声優であり、そしてしーちゃんのようなアイドルでした。それがある意味呆気なく終わってしまうということ、そういう不安定な道標の中で進もうとしていることにも、今回改めて気付かされました。

 

しーちゃんがどういう道を目指すかはわかりませんが、また彼女の名前、姿を見かけた時に、少しでも良い自分であれるように頑張らねばと思いました。本当にお疲れ様、そしてありがとうと言いたいので、募る思いはレターに書こうかなと思います。

医療とサブスク

映画や音楽、酒に車など、サブスクリプションで「借用する」、所有しない選択というのは徐々に浸透しつつある。服飾のサブスクというのもある。

その中で医療というジャンルとサブスクはまだ見たことがない。ただ全く水と油というわけでもないと思い、個人的にあったら嬉しいというものを書いてみる。

 

定額歯磨き

歯医者さんに定期検診で通っている人は割合としてどれくらいいるのだろう。自分は数年前から2〜3ヶ月に一度歯医者さんに定期検診で通って見てもらっている。そのたびに、「もういっそ歯磨き放題サービスが有ってもいいのでは?」と思ったりしている。

例えば1日1回15分、歯医者さんできっちり歯を磨いてくれて月1000円とか。歯医者なんてたいてい家の近くか職場の近くのところ、通いやすい病院に行くだろうし無理なサービスモデルではないような気がする。患者は毎日キレイな歯を保てる、隅々までクリーニングできるので虫歯になりにくくなる、歯医者側も虫歯や歯周病などの治療にかかるコストを軽減しつつ、定期検診より多く収入を得られるだろうしWin-Winだと思うんだけどなあ。

 

定額耳かき

耳掃除も面倒だ。綿棒でやっていると時々加減がわからなくて耳の中を知らずしらず傷つけていそうで怖いので、耳鼻科とかでちゃんとやってもらいたい。あまり掃除し過ぎも良くないだろうし週1回が目安だろうか。ついでに耳に異常がないかも見てほしいという気持ちがある。聴力は健康診断で毎年測っているので異常はないと思うが、最近ずっとテレワークでヘッドホンつけっぱなしなので変に痛めていないかが心配。値段的にはどれくらいがいいのだろう。500円ぐらいなら喜んで通うと思う。

 

定額爪切り

爪の切り方を間違えているというようなツイートを見たことがある。長すぎはもちろん良くないのだが、短すぎても雑菌が入ってきたりするとかどうとか。ならばプロのお医者様に切ってもらおう。爪切りもなかなか面倒な部類の1つだと思うのだが、自分の身体のことなのに正しい長さがわからなかったりする。ただ人に爪を切らせるというのが、小間使い扱いしている感があって抵抗はあるかもしれない。これも週1回ぐらいでいいかな。

 

おわり

自分がそうなのだが、異常がないのに病院に行くということはほぼないだろう。セルフメディケーションの時代だし、何かあったらまずドラッグストアで薬を買って、それでもだめなら医者に行くだろう。歯医者の定期検診も割合としては少ないのではないだろうか。その棲み分けで守られてきたものがあって、こういうサービスをきっかけに患者が増えて労務環境に支障が出るのだとしたらそれは私の望むところではないので考えなければいけない。ただ異常が「気づけない異常」だとしたら話は別である。正直、年齢を重ねるに従って年1回の健康診断で担保できる「健康」の範囲は限られているのではないかという疑念がどんどん膨らんでいる。そういった漏れそうな異常がないかどうか、定期的にメンテナンスして治療しましょうという意義もこのサブスク構想にはある。

 

青春18きっぷで金沢は難所

一覧

  • 直線的なルートがないため到着まで想像以上に時間がかかる
  • 北陸本線に1時間に1本しか普通電車が走っていない(特急のほうが本数多い)ため旅程が柔軟に組みづらい
  • 湖西線が強風に弱いためダイヤ上進めなくなることがある
  • 金沢以東が三セク化しているので別途きっぷを買わなければならない

補足

北陸を西に進んで中部・関西に下る際、湖西線の動向がかなり命運を握る。金沢や福井から敦賀まで出たあと、その先に進む在来線は基本的に湖西線経由で関西に進む電車で、米原方面に行きたい場合は2駅先の近江塩津で乗り換えるか、特急しらさぎに課金するしかない。ところが強風で湖西線が運休になると近江塩津にでる手段がないので、18キッパーは敦賀で立ち往生することになる。御存知の通り、青春18きっぷはダイヤ乱れによる何らの救済措置も受けられないためアクシデントに非常に脆弱なきっぷではある。

比較的内陸を走っているので日本海の影響ではないと思うのだが・・・と思って調べていたら「比良おろし」というのがあるらしい*1比良山地から琵琶湖に吹き下ろしてくる強風の影響だそう。自分が行ったときはちょうど台風10号が九州を縦断している最中だったのだが、まさかその影響が遠く離れた本州まで及ぶとは思いもしなかった。これは完全な判断ミスだった。自分が知っている中で一番強風に弱い路線は武蔵野線だったのだが、それがあっさりと塗り替えられた旅行でもあった。「弱い」の意味が違うけど。

結局今回はどうしたのかというとサンダーバードに課金して一度京都に出るという選択をとった。というのも個人的な事情で「この時間までに名古屋に着いていないといけない」という明確なタイムリミットがあったこと、日中帯に敦賀から乗れる新快速が1時間に1本なので、次の電車に乗ると間に合わない可能性が高かったこと、そもそも次の電車が同じように運休して引き続き足止めを食らうリスクが捨てきれなかったこと、判断したタイミングで次のサンダーバードが後数分で来るタイミングでちょうどよかったことなど、諸々勘案して決めた。結果的にかなりの追加出費になったのは痛かったけど間に合ったので良かった。

 

しかし思い返すと、鼓門を見て、謎のやかんが倒れている像を見て、ゴーゴーカレーの本店巡礼と回転寿司を食べるぐらいのことしかしてなく、観光地と呼べる観光地には行く間もなく終わってしまった。なんのために行ったんだろう。それは誰にもわからない。

僕たちの嘘と真実

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今日、「前夜祭イベント中継付き上映会」と銘打って公開前日に鑑賞できるイベントがあったので行ってきた。
観た感想としては、良かったという気持ち半分、不完全燃焼だなという気持ち半分。お腹いっぱいという気持ち半分、もっと観たいという気持ち半分。改名・ラストライブが控えているというタイミングでの公開は、記念碑的な意味でも映像記録という意味でも結果的には良かったと思う。イベントの中でゆっかーが「楽しんで見てほしい」と言っていたけれど、とてもそんな感情にはなれなかったことも付け加えておく*1

<ここからネタバレ>

 

 

*1:みてがっかりした、つまらなかったというような負の感情になったということではなく、ハイカロリーすぎてポジティブな感想を持って帰ることも出来なかったという意味

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大腸内視鏡検査との戦い

過日、とある経緯で大腸の内視鏡検査を受けた。結果から言うと想像していたよりも辛さもなく、身構えていた割にはすんなり終わったというのが感想ではある。ただ途中いくつか辛いポイントはあって、そこさえ乗り切れればという印象。とりあえず覚えている範囲で書いていく。

検査日が決まってから

とりあえず病院で検査日を決めると、検査についての説明を受けるのと検査食を買うことになる。大腸内視鏡検査の際は大腸の中を空っぽにするため2日前から食事制限や薬の服用などの縛りが発生するためだ。

検査食はいくつかの中から選べるようだったが、よくわからないメーカーとグリコの2択だったのでとりあえずグリコを選んだ。まあどれを選んでも大差なくまずいだろうとは思うのだが。パッケージに書いてあった「大腸内視鏡検査のために開発された食事です」との一文、「食事を開発する」というワードが今そこにあるSFの発想だなとゾクリとする。

その後何故か採血が始まる。今に至るまで、「なぜ採血が必要なのか」をちゃんと聞いていないのでなぜ針を刺す必要があるのかわからないままだ。聞いておけばよかった。そして僕は採血がとにかく苦手で、痛いのもそうだが、自分の身体に針が刺さっているところを今なお直視できない。以前健康診断の採血で物は試しと血が抜き取られるさまをガン見していたら失神したことがある。

更に自分の場合、なぜか血管が見つからないというのがある。通常肘の内側、関節付近の血管から取るのだろうが両腕ともなかなか浮き出てこないらしく、一発で注射がうまくいった看護師をほとんど見たことがない。これも昔からで、ある人からは新人看護師泣かせだとまで言われた。知らんがな。結局このときも手の甲にぶっ刺して血管を取ったのだった。このときが一連の検査の中で1番痛い思いをした時間だったと思う。

2日前から前日

受診後検査日まで数週間あいだが空くため、この間検査日2日前までは普通に過ごす。ただ、受診してから「そういえば便通の間隔が開いている気がするなあ」と思ったので食生活はそれなりに食物繊維に気を使うようになった。と言ってもこんにゃくゼリーを食べたり、コンビニでひじきのサラダを買うようにしたりとその程度であるが、料理ができなくてもその程度が手軽にできる、いい時代だなと思う。

検査はそれなりの時間がかかるので休みを入れた方がいいです、なんなら前日も休みを入れたほうがいいですと医者から言われたのでそのとおりにした。実際過ごしてみると断然その方が良いなということに気がつく。検査日前日に食べる検査食はカロリーも量も控えめなので、老人ならともかく20代の人間が仕事するためのエネルギー補給に足る食事とは性質が異なる。何もせずただ食べるだけの生活をしたほうがよいとわかった。とくにお粥が水っぽい上に味も薄く、食事ではなく何らかの「摂取」に近い。塩とかかけたかったが消化に影響が出るのが怖くてできなかった。ちなみに食事制限は2日前から始まり、野菜や発酵食品、乳製品などの消化しづらい食べ物の摂取ができなくなる。

前日の食後に少量の下剤を服用する。朝の便通のためなのだろうと思ったが、薬の効果か、いざ寝ようと思ったときに腹の少々張ったような感じとぐるぐると鳴る音のせいでほとんど眠れなかった。消化している証なのか胃腸が大きく刺激されているのかわからないが、そこらの便秘薬よりはよほど強い薬なのだということは身にしみてわかった。

当日

当日は食事はだめで朝からひたすらマグコロール水溶液とチェイサーの水を飲み続ける。味は薬っぽいスポドリという感じで夏で喉も渇く季節なので決してだめではないが、がぶ飲みは許されないため、2リットルを延々と飲まねばならず後半は流石に飽きてくる。合間、襲う便意のためトイレに駆け込む。便は完全に液体として出てくるので、感覚としては誇張なくお尻からおしっこを出すのに近い。これがマグコロールの威力である。煩悩に塗れた僕は便座に座りながらこれが浣腸プレイか・・・と未知の扉の先の世界に思いを馳せていた。

飲み終え、排泄も終わったあとは支度をして病院に向かう。検査着に着替えていきなり麻酔のため点滴をするというので面食らう。聞いていない!と思ったが前言っていたのを忘れていただけだと思うので淡々と従う。点滴なんて小学校の時骨折して入院して以来のことだ。

点滴がだいぶ入ったところでそのまま検査。麻酔のおかげか内視鏡が入っても痛くなく、奥まで進んでいくカメラの感覚とガスで膨らむお腹の感覚だけがある。エッチなビデオを見ているとたまに肛門を使ったプレイングがあるが、なるほどこういう感じなのだなとまたどうでもいい世界の扉に手を掛けかける。もちろん自分の大腸の中なんて初めて見るのだが、孔みたいなものがあちこちにある以外はどこまで進んでも血管が縦横無尽に走るピンクの腸壁蠢く世界で、あたかも真・女神転生シリーズのような3Dダンジョンを見ているような気分だった。

結局大腸のどこにも異常はなかったと説明を受けて安心する。終了後、少なくとも大腸は空っぽだということを忘れ、今まで通り揚げ物を食べてしまい、ギュルギュルなるお腹に苦しむことになるが、それはまた別の話。

配信の味は蜜の味

SUMMER CHAMPION 2020 ~Minori Chihara 12th Summer Live~

見た。

minori-summerchampion.jp

 

正直に言うと、発表されてからの数カ月はみのりんの楽曲やライブからは避けるようにして生きていた(意図的なものか、本能的なものかは判然としないが)。だから本当に彼女のライブが、曲が久しぶりで、ああ私の体に10年以上刻まれた音楽はこれでしたという、自分の原点にタイムスリップしたような、そんなライブだった。個人的には「ステラステージ」を初めてステラシアターで見れてよかったなと思う。現地で見たかったけど。

演出も良かった。ステージの裏でのアコースティックコーナーや、客席にぬいぐるみと一緒に座って歌ったり。配信ならではの今まで見られなかったカメラワークもあった。ステラシアターの構造ゆえ、今までほぼステージワークを楽しむ(客席の通路に上がってきたりもするが)以外なかったのが、画面を通してみのりんやCMBの姿をより至近で見れるというのはとても良い。

 

いつもの河口湖ライブと大きく異なったのは、とある一件についてMCで説明と謝罪があったことだろう。今回のライブには本当はいつもみのりんと一緒にステージに立っている室屋光一郎大先生がおらず、見ていて強烈な違和感があったのは事実だが、まああの一件のせいだなと思っていたのでなんとなく背景を察することはできた。

以前も書いたが、またどこかで彼がみのりんと同じステージに立つと信じて疑っていなかった(なんならこのライブに出てくるものだと思っていたので)。それは今まで茅原実里というアーティストが紡いできた音楽のそばには必ずと言っていいほど彼がいたからだ。彼のストリングスがどれだけ茅原実里の音楽の世界を広げてきたのか、ファンが一番良く知っている。2人がやったことは相応に重いことだが、それをもってしてもアーティストとしての関係を安易に終わりにできるような実績ではないということも。それだけにこういう形でお別れになってしまうのはとても悲しいしとても残念だ。

 

みのりんは「どれだけファンのことを傷つけたか、関係者の方々に迷惑をかけたか」、「このステージに上ることもためらっていた」という趣旨のことを話していた。嫌味の1つや2つないと言ったら嘘になるし、この先アーティスト茅原実里がどう歩んでいくのかという不安がないと言ったらこれも嘘になる。けれど、そのあとにみのりんが選んだ楽曲と、ステージ上での姿で、ぼくはもう十分に彼女からのメッセージを受け取ったと思えたし、ぼくは1ファンとして彼女が進む道を見守るだけだ、というある種の決心もできた。彼と袂を分かつということがどれだけ重い決断なのかを知っているからこそ。

そも15年もこの業界でアーティスト活動を継続できるということ自体がそれだけで奇跡的なことだし、その奇跡を引き寄せているのが彼女の楽曲であり、パフォーマンスであり、ライブ当日に梅雨明けさせてしまう伝説的晴れ女パワーであり、何より彼女の人柄によるところだというのは、決して嘘ではないと思う。

 

配信ライブという新しい潮流について

新しい生活様式は今後数年以上、下手したら今後ずっと続くとも言われている中、ここ数ヶ月配信でライブを見る機会を度々得ている。断然生で見る派だったのでどうかなーと思っていたけれど、意外にいいものだという事がわかってきた。何よりも演出がアーティストによって様々で多様性があるのがいいところだと思う。ソリッドに演奏を見せるものも、客席まで使って大掛かりな演出をするものも、そのアーティストのスタンスやアイデア次第だし、今までと全く異なる演出が見れるのは単純に楽しい。他にも色々いいことがある。

  • 交通費やそれによる移動コスト(時間など)が一切かからない
  • 遠征にかかる諸々もかからない(遠征はしたくなったら旅行という形ですれば良いので)
  • ライブを見ながらご飯が食べられる
  • ライブを見ながら酒が飲める
  • ライブを見ながら内職ができる
  • チケット代が安いのでその分お気持ちをお布施や物販に回せる
  • チケットの売り切れを心配しなくていい
  • チケットを忘れる心配をしなくていい
  • アーティストが豆粒にしか見えないという不満がない

一方、今までの生感、一体感こそライブであろうという思いも、ないわけではない。特に音響やライブ会場での様々な演出、それらから生み出される没入感。多くの名前も知らない、ただ同じアーティストのファンという繋がりだけでたまたま同じライブに来た赤の他人と一緒にその空気を楽しむ共犯関係。これらがライブの醍醐味でこのカタルシスを味わいたくて今まで好きなアーティストのライブに足繁く通っていたのだ。コロナウイルスの不安なくそれが楽しめるようになるのがいつになるのか、僕には見当もつかないけれど。

今後この災禍が下火になっていくのかどうかは分からないけれど、たとえどれだけ沈静化して、(ありえないが)コロナウイルスが完全に収束したとしても、ライブは「配信」と「現場」の2通りに分離していくことになると思う。配信ライブは形を変えこそすれ、なくなることはないだろう。なぜなら儲かるからだ。

 

先月欅坂・日向坂が相次いで配信ライブを挙行したが、双方チケット売上枚数が9万枚に達している。*1そもそも9万人を収容するライブをやろうとしても現状可能な箱は存在せず、必然的に野外フェスレベルの会場を構築するしかないわけだが、これにチケット金額をかけ合わせると、単純計算だがチケットだけで売上は3億を超える。これはドームで単価9000円にしたら届くかどうかという額であり、実際のライブで実現するのは並大抵のことではない。配信をチケット入手難になりがちなアーティスト、例えば嵐が同じことをしたらどれだけ売れるのか想像もつかない。人気度、ファン層の大きさが大きければ大きいほど、アーティストサイドにとっても配信ライブには可能性がある。ビジネスとして成立するというファクターは波を加速させ大きくするのに十分なエンジンになりうる。

配信形態は、従来からあった映画館での「ライブ・ビューイング」にとどまらず、他の施設や飲食店含めた規模の異なる配信も含めてもっと細分化していくかもしれない。それぞれの楽しみたい環境やニーズに合わせてライブが迎合していく、そんな新しい形態を、僕は期待したいし、歓迎したいと思う。

彼岸にて

早くも2020年の半分が終わったが、その間は激動だったようで何も変わっていない。できることが減った分、新たにできることは増えず、玉葱の皮のように自分の身の回りのものたちが次々と剥ぎ取られ、ちっぽけで何ら意味を持たない芯と否が応でも向き合わざるを得なくなっているという点で、残酷な半年だったし、空虚な半年だった。自分が今までライブに行ったり、ベイスターズを応援したり、たまに技術系の本を読んだりして知った気になったりしていたのは、中身も価値もたいしてないような自分の本質を周りに知られないように糊塗するためにすぎないからである。

 

緊急事態宣言が解除されてからというもの、世間(ここで言う世間とはテレビの向こう側であり、SNSのタイムラインによって形成される世界である)は感染者数の増加にてんやわんやしているように見える。政府や自治体、歓楽街へ繰り出す人々に対するヘイトも散見される。九州や中部での豪雨による被害が陰鬱した論調に拍車をかける。どれだけ多くの「亡くなる必要がない」人々が亡くなったか、「失う必要のない」ものが失われたか、想像するのは難しくない。情報は即座に生々しい姿で、かつ鮮明に自分の眼前に飛び込んでくるからだ。祈ることもできないかわりに、不必要に自分を苛む機会は増えた。

だからSNSは見るのをやめた。当事者にとっては人生が(否応なく)変貌している渦中なのかもしれないが、然るべき手続き、然るべき治療によって回復することを願うだけで(もちろん些細だが募金はする)、それ以上自分になんの意味ももたらさないからだ。感染者が増えたとしても、どこかの川が氾濫したとしても、それらを気に病んだところで、なにか変わるわけでもない。もし自分が三日三晩絶食し、己を賭して祈りを捧げることで、新規感染者数が0になり、すべての患者が救われ、土地や家財が元通りになるというなら、喜んでやると思うが、実際はそうではないからだ。

ただでさえ自分の「なにもなさ」に辟易としている中で、あふれる情報は確実に自分を蝕んでいると実感があった。情報に自分が追い込まれているという感覚は生身の体を銃弾の飛び交う戦場に送り込むというそれに近い無謀さに近い。だからこそ、これ以上波の中に飛び込むのは危険だと判断したのかもしれない。

 

そうして辿り着いた情報の彼岸で、しかし考える頻度は増えた。自分にとっての自分とはなにか。自分が外に提供可能な価値とはなにか。自分が外から求められていることはなにか。やなせたかしも問うていた、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」ということも。

哲学的で難解で正解などないとわかりきったような問いだが、これは同時に社会からの最終警告でもあるような気がした。これから、そういう問いへの「答え」を携えることのできない人間に、未来を享受する価値があるのかどうか、と。