猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

自分の考えるチケット転売問題について

www.itmedia.co.jp

ぼくが「チケトレ」という公式のチケット二次販売サービスが立ち上がった時、(まあ、これがデファクトスタンダードになることはないだろうな)と思いましたし、クリティカルな一手にはなりえないとも思いました。案の定、既存サービスと対して変わらないプロダクトだったために、手数料の高さなどを巡って、(自分で見かけた範囲内で)利用者の意見は懐疑的なものが多いです。

 今一度、自分がこの問題についてどう思っているかを明文化する目的で書きます。自分の考えを自分で改めて確認したかったからという理由と、自分も参加するつもりで購入したけど行けなくなってしまったイベントのチケットを、上記のようなチケット二次販売サービスを通じて売りに出すことがあるので、そういう「転売者」としての立場からオピニオンを残しておくのは意味があるのではないか、という点からです。

 

高額転売が起こるのはどのような場合か

参考までに大前提。多分こういうのは経済学専攻された方のほうが詳しいと思うのですが、主に以下のようなケースでしょうか。

  • そもそも需要に対してキャパシティが小さい

好例が林原めぐみさんのファーストライブです。中野サンプラザは申し訳ないけど足りない。おおむねアーティスト・出演者の人気、イベントそのものの希少性などが動かしているのではないでしょうか。

  • いわゆる「良席」の場合

良いポジションで見たいという潜在需要に訴求する例。
このケースですと、前方座席のチケットをゲットするためには金銭的・労働的対価が必要な場合*1が多いため、そのコストを上乗せして転売する、というケースも多くありそうです。

チケットがソールドアウトしてしまって正規購入できる方法がないために出品者が足元を見てくるケース。↑↑の要因も大きいと思いますが。

「行けなくなった人」と「転売目的の人」が一緒くたにされている

この問題の一側面として、「行きたかったけど(何らかの事情で)(やむを得ず)行けなくなってしまって」転売に頼るケースと、「最初から行くつもりはなく、差益を得る目的で」転売するケースが同一視されている点があります。
個人的な考えですが、不正転売として糾弾されるべきは後者"のみ"であるべきと考えていますが、現状、「行きたいけど行けなくなった人」に対する正式な転売の窓口がなく、某キャンプや某ストリートなどの二次販売サービスに出さざるを得ない状況が多いように感じます。また、そういったサービスに後者が蔓延っているため、サービス全体、ひいては転売そのもの*2が悪であるかのように言われている、というのが現状だと思います。

ただ前者がみんな被害者なのかというとそういうわけでもなくて、前者のような出品者が定価以上の値段で出品するケースも多々あります。
これは後者*3が、上記の高額転売の起こりうるケースなどを鑑みて、独自に定価以上の値付けをすることによって、その二次販売サービス内でのベース価格が決まってしまい、後からの出品者が次々その値段をベースに出品するようになる、という問題が大きいように思います。
出品者によって自由に値付けできるというシステムの性質上、この部分は各出品者のモラルに存するところが大きいので、誰であれ擁護する理由はありません。ただ、誰しも加担・増長する可能性がある、というのは罪深いところですね。

「本人確認」の闇

上述した、「転売」= 「闇」の図式によって生み出された悪の一つが「本人確認」です。

lineblog.me

転売屋から購入したチケットを無効化するために現場で本人確認を行い、購入者と別人であれば入場を拒否するというシステムである。これは、間接的に転売屋のチケットを防ごうとしているものだが、結果としては来場者の負荷を高めているだけなのだ。

「高額転売を買わないからライブが見られない」と「高額転売で買ったがライブを見れないかもしれない」の二択にしているだけだ。

本人確認はそもそも排除の性質しか持っていません。オリラジ中田さんもブログに書かれていて、上記の場合は「行きたかったけどチケットを確保できなかった」参加者の立場から述べられたものでしたが、これは転売をしようとする立場からも同じことがいえます。

大前提として、自分が二次販売サービスを通じて転売する場合は定価以上の値段を付けません。*4明らかに定価を超えて取引されるであろうチケットについては極力Twitterで呼びかけています。
なぜそんなことをするかというと、以前定価で出品し、落札された某アーティストのチケット*5が、そのまま落札者によって倍の値段で出品されたことがあるからです。三次販売、とでも言いましょうか。勿論、行きたいのに行けない方にお譲りするというのが本意だったので、それ以降は面倒でもTwitterとかを使ったほうがよいなと思い至ったわけです。

上記の「本人確認」は、あらゆるチケット転売者に対して抑制効果を持ちます。それは「行けなくなってしまった」転売者に対しても、です。譲りたいのに譲れない、空席が生まれてしまうし、購入者もファンも得しないという別の視点からのジレンマが生じます。

そしておそらく、これは増えることこそあれ、減ることはないのではないでしょうか。なぜなら1つだけ、この仕組みの中でメリットを享受しているのが他ならぬイベント主催者だからです。
イベント主催者からすれば、既に空席分の売上は立っているので損得の心配はしなくていいし、上記による締め出しによって、イベントの催行に影響するほど空席が出るという想定はしにくいからです。実際検挙率は1%もないのではと思いますが、ドラスティックな対応をすればするほど、SNSで拡散されるので言い方は悪いですが見せしめ的な効果が出ます。コストも人件費が少々上積みされる(あるいは0?)だけですし、運営フローを大きく変える必要もありません。苦しんでいるのはチケットを持っていないファンと譲りたいファンだけなのです。

「公式」を担保すべきなのは協会じゃない

jp.techcrunch.com

これによると、

ぴあは日本音楽制作者連盟日本音楽事業者協会コンサートプロモーターズ協会、コンピュータ・チケッティング協議会の4団体と協議し、今回のリリースに至った

とあります。

おそらく、ぼくらが参加するようなライブやイベントを主催・企画・制作するような企業はたいてい、これら団体に加盟しているとおもいます。チケットに関して責を担うのがどこなのかは分かりませんが。多分主催者だと思います。

ただ、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、既に一部のアーティストは、高額転売対策の一環として専用の流通サイトを作成・公認化して二次販売を承認しているところもあります。例が以下。

チケットシェアリング

つまり、こちらで二次販売できる「公式」サービスがすでにあるアーティスト側からすると、自前でオフィシャルな二次流通経路を用意したのに、わざわざチケトレに乗り換えるの?という疑問点はあります。ざっくりいうと御上と実際の現場とで動きが噛み合ってない。公式の二重化が起きているわけです。

これは推測ですが、今後「アーティスト(イベント)公式のチケット二次販売サイト」は増える可能性が大いにあると思います。
本来的にはそれぐらいの粒度で「公式」を担保するのが正しいあり方だと思うのですが、チケット二次販売サイトはおしなべて登録コストが非常に高い*6ため、ユーザビリティに欠けますし、
主催者側からしても、今や一般販売に先駆けて先行抽選を行うのが当たり前になっている中で、全てのチケットに対して二次販売経路を管理して面倒を観るのは厳しいというのもありそうです。
各運営が試行錯誤する中生まれたチケトレと、今後どのように折り合いをつけていくのか、また他の二次販売サービスに対してどう向き合っていくのか。このあたりは個人的に興味があるので、主催者側の見解を聞いてみたいですね。

 最適解がない現状、将来の展望

 まあ、性善説的世界観ですが、SNS全盛の時代、そもそもチケットのやり取りなんてそこで個々でやりとりをすればいいんです。そういう意味で、こんな二次販売サービスなんて必要ないというのもある意味そうなんですよね。

おそらく、ユーザーはチケットを転売する時に、どこの窓口が最適なのか、自分のチケットに合わせて選びながら二次流通するフェーズが暫く続くと思います。なぜならチケットをリセールするのに抜本的な最適解が未だないからで、この先もそれができる保証はないと考えています。悲しいけれど。

そしてもはや、この現状を「どこに責任がある」という次元で論じることはできないと思います。主催者、チケット販売サイト、二次販売サービス、イベント運営*7、参加者、転売者。全てに利権があり、責任があります。理想論ですが、自分は自分でできる責務を果たしつつ、全方位的にうまい落とし所が見つかることを祈るばかりです。

*1:例えば、円盤を買わなければ行けなかったり、FCに入らないといけなかったり、云々

*2:「転売」という語の印象も含めて

*3:前者の場合もある

*4:以前はチケットのいろいろな手数料分を補填するために少し上積みしていたことはありますが、今はもうしなくなりました

*5:それなりに人気のある方で、某キャンプでは定価の1.5~3倍くらいの値段がついていました

*6:個人情報の入力にとどまらず、本人確認書類の提示が必要

*7:主催者と一の場合も

オタクについて私観2017

以前から書いてみたいと思っていた「にわか論」と「一時他界許容論」。要は好きと嫌いについてのおはなし。

まとまっていませんが、書かないと書けないなと思ったので、そのまま書きました。ニュアンスだけでも汲み取っていただけたらうれしいです。

 

本記事内では便宜上、所謂エンタテインメントのあれやこれやをひっくるめて「コンテンツ」として表記します。
他にもっといい単語があるのだろうとは思いましたが、自分の語彙力ではこれが限界です。他に適した単語をご存知でしたら、こっそり教えてください。差し替えます。

 

にわか論

「懐古厨」という言葉があります。昔を賛美し、現在を貶しがちな人への蔑称です。なんだか変に一般化されてしまった言葉のような気もしますが、コンテンツが長続きすればするほど、どのコンテンツにも存在しうる層だと思います。

そもそも、懐古厨がなぜ懐古厨たりうるのか、といえば、コンテンツそのものが何らかの方向へ変化している(あるいは「した」)から、と同時に、懐古厨は昔あった、変化する前のコンテンツを肌で感じているからです。今の10代がバブル景気の頃を賛美していたとしたら、(それはそれで面白い気はするけど)それは史実に基づいた賛美であって、実体験としての賛美ではありません。そこに生まれる説得力は、実体験が生むオピニオンにはとても勝てないと思います。*1

そうでなくとも、世の中、特にネット界隈はコンテンツの「リアルタイム性」に拘る傾向があるように思います。

例えば音楽。とりわけ何年も活動を続けているアーティストの音楽については、スタイルの変容についてはどうしても賛否両論が噴出しがちです。あの時期のほうがよかった、あの出来事をきっかけに方向性が変わってしまった、など。
それらをリアルタイムで目撃していたかどうか、そのときにそのアーティストを応援していたかどうか、そもそも産まれていたかどうか、に至るまで、いろいろな物差しでファンはファンを峻別してしまうのではないでしょうか。
キャリアが長くなればなるほど、ファンの年代も多様化して当然ですし、それが混在して共存いることがファンコミュニティとしてあるべき理想の姿にも見えますが、おそらくファン歴が浅くなればなるほど、その人は「にわか」とレッテルを貼られ、対等に扱ってもらえないことが間々あります。*2

 

声優の話をしますと、自分が深夜アニメやラジオなどを通して、声優の存在を知ったのが2005年前後で、それ以前の声優オタク事情について詳しいわけではなく、推し量るしかないのですが、確実に言えるのは、受容の手段は今よりも遥かに限られていて、シンプルであったと思うんですよね。ファンとして応援するために何をしたらよいか分かりやすかった。
だから一つのコンテンツを深く、(現在では考えられないほどの)時間を掛けて知り、私財を投じて入手し、はまっていくという行為そのものが、当時のファンにとって財産であり、ファンであることの裏付けになっていたと思うのです。

今、かつてほどこういった時間をかける必要はなくなりました。*3空き時間や移動時間にアニメを見ることもできる、気になった音楽があればその場で買ってすぐ聴ける、などなど。
更に、コンテンツはもりもりと多様化・多態化し、ぼくたちは様々なコンテンツにどんどん時間を奪われるようになりました。何かにハマれば、何かが疎かになる。何かを選ぶということは、無数にある他の何かを捨てることになる。表現が乱暴ですが、様々に垂らされた釣り糸のなかから何を咥えるかという。
オタクという文化がかつてよりカジュアルになったのも、無関係ではないと思います。間口は広くなり、より気軽に足を突っ込むことができるようになった。それは他のコンテンツでも例外ではありません。

ぼくは「にわか」はなくならないと思っています。なぜなら、こういうコンテンツの消費形態に慣れてしまった人、あるいはそれを現在進行系で提示されているずっと若い人たちが、旧来の意味での「ファン」になるのは容易ではない気がするから。

 「広く深く」がいいよね、というのは当たり前ですが、先述したとおり、自分の中で全てを同じように併存させるのは難しく、どこかで折り合いをつけ、自分の中で優先順位に則って動かなければならない、広義でのサブカルチャー全般は既にそういう領域に達していると思います。

一時他界許容論

↑と繋がるところなのですが、現代社会において、コンテンツの数はかなり増え、ファンは分散化しています。ここ数年でどれだけアイドルユニットが誕生したでしょうか?ニコ生やSHOWROOMやAbemaなどなど、ライブストリーミングの普及で露出の機会もあちこちに増え、追いかけ続けること、「ファンであり続けること」は少しずつ難しさを増しています。

一つの顕著な現象が、相次ぐ声優さんのソロデビュー現象です。

 

huurai0.hatenablog.com

 

2016年、14人の女性声優さんがソロデビューを発表してあちこちで話題になりました。*4

声優さんが所謂アーティストとしてソロデビューする流れはずっとありますが、昨今多いと感じるのは、アーティストとしての素養*5を持った状態で業界に入ってくる声優さんが増え、個人としての知名度がそれほど重要視されなくなったから、寧ろ活動のアイコンとして早期に自分の曲、スタイルを提示することが活動がスムーズになる、ということなのだと感じます。ハードルが低くなったわけでもなんでもなく、ある程度即戦力として入社してくる新入社員のようなイメージでしょうか。

こういった声優というコンテンツを幅広く好きでいるファン(いわゆるDD)にとっては悩ましい時代になりました。アーティストデビューするとなれば当然イベントやライブで露出する機会も増えます。一気に続発することにより、DDからすれば、時間的制約・金銭的制約など、様々な理由から”絞る”必要が生じるのは当然のことだと思います。
でもやっぱり人間だから、手を出してみたけど、いろいろあって、「戻る」ということも、あるはず。ただ、少なからず葛藤はあると思うんですよね。
いや、そんなずべこべ言ってないで戻りたくなったら戻りゃいいじゃん、それはその通りなんですけどね。

 

ひとつ、実体験の話をします。

前の記事にも、その前にも書いたとおり、自分は横浜DeNAベイスターズのファンです。最後に優勝した年から応援し始めたので、そこから数えると20年弱になります。しかしながら、その18年間、ずっとベイスターズを応援していたかというと、そんなことは決してありません。
「ファンをやめる」というとかなり仰々しく聞こえますが、数年間、ベイスターズの野球を見るのをやめていた時期があります。
「もうやめる」と決めたわけではなく、気がついたら見るのをやめていた感じなのですが、かといって完全に離れていたわけでもなく、スポーツニュースなどを通して、勝ち負けであるとか、誰が活躍したといったベイスターズの状況は知っていました。なぜやめたのかといえば、単純に弱すぎたからでもあり、球団のベイスターズ愛が感じられなくなったというのもありました。
その間にベイスターズはいろいろなことがありました。内川や村田がFAで他球団に移り、ずっとネタにされるようなお粗末なプレーもあり、挙句の果てに球団自体が横浜からなくなるかもしれないとまで言われました。自分がベイスターズをまた応援しようと思い、戻ってきたときには、親会社はDeNAに変わり、監督はものすごく喜怒哀楽に溢れた人になっていました。
今、ベイスターズ横浜スタジアムで試合をするたびに、大勢のファンがスタンドを埋め尽くし、チケットは容易にとれません。これは数年前からすれば考えられないほどの盛況ぶりであり、選手やコーチ陣、そして球団スタッフの努力の成果でもあります。
しかしその裏には、あまりにもベイスターズが弱くて、あちこちの客席ががらがらだった時からずっと、スタジアムに駆けつけ、声をからして応援していたファンがいます。そういったファンの存在がなかったら、今こうして横浜にプロ野球チームが存在していたかどうか。それも確かにあるのです。
だからなのか、そういったファンの中には、その時代に応援していなかった奴は真のファンじゃない、チームを応援する資格はない、という人もいます。
その発言がどこから起因するものなのか。単にチームへの愛情なのか、自分が支えてきたという自負なのか、お前らもあの時の辛さを味わえというかなわない不公平感なのか。

こういった話は、ここに限らず、いろいろなところで起こりうるのではないでしょうか。コンテンツの息が長くなればなるほど、ファン同士の間で同一の価値観・物差しを共有することが難しくなっています。そういう中で、どういうコミュニティやつながりが生まれるのがよりよいのか、コンテンツの出し手だけでなく、受け手であるファンも模索する必要があるような気がします。

*1:今回の話とは別種ですが、たとえば戦争がそうであったように。

*2:もっとも、対等に扱ってもらえることが必ずしも良いとは限らない場合もありますが・・・

*3:ついでに言えば、金銭を掛ける必要もなくなりました。こっちの要因も無視してはいけないとおもいつつ、それはまた別の話。

*4:人数だけで言えば一昨年(2014)のほうが多いのですが、下半期に入ってデビュー発表が一気に集中したことなどが要因としてあるかもしれません

*5:たとえば歌唱力とかダンスとか

Tadokorockと水戸レポ

少し前の話になるのですが、4/9に水戸ライトハウスで行われた田所あずささんのライブに行ってきました。

 

この水戸公演がライブツアーの初日ということもあり、期待度は非常に高いものでした。
ぼくがころあずを好きになったのはかなり最近なのですが、いつの間にかそんじょそこらのロックバンドもびっくりなヘビーチューン路線になっていてああこういう声優アーティストは最近いなかったなあと思って楽しいです。箱キャパが小さめなのもよい。

水戸という地には特に思い入れはありません。数年前、コミケットというイベントがこの地で行われた時に、友達に頼まれて某人気サークルの新刊を買いに行ったとき以来ですね。あの時のことはあまり思い出したくない。
ちなみにあの時からうめ物語という一定の方面から絶大な知名度を持つお酒が発売されたんですね。当時はまだ未成年だったので買えもしませんでしたが・・・

 

水戸へ向かう

常磐線に乗って東京から水戸へと出ます。柏・我孫子あたりまではまだ都会の雰囲気がのこっていますが、

 

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 取手を抜けると田園風景が続きます。高い建物が一切ないというのは違和感ないんですけど、改めて考えてみると新鮮ですね。

 

 

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水戸駅につくと、有村架純ちゃんが迎えてくれました。どうやら4月の朝ドラの舞台が北茨城ということで、PRしているみたいですね。ありとあらゆる柱に有村架純ちゃんがいる世界・・・最高かよ・・・

 

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適当に名所でも見ようかなと思ったのですが、思いつく場所もないし、唯一思いついた偕楽園は梅のシーズン終わってたし。京成百貨店ぐらいしか行くところなかったです。でも駅前は色々出来て都会感を滲ませていましたね。

 

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マンホールもこんな感じです。

 

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水戸駅付近で気になったのがここのお店。なんでも感が強め。あと上のキャラクターはスーパードンキーコングシリーズにいそう。

 

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写真撮れなかったんですけど、個人的には「納豆個人消費量日本一奪還!」という張り紙が行き交うバス中にしてあったのが面白かったです。執着がすごい。

 

ライブは動物園

荷物を預けてライブが始まりました。今回の会場は水戸ライトハウスというところで、バンドヲタなら知ってるくらいのところではあるのですが、まさかキャパ300ぐらいしかないとは思いませんでした。待ってるときはきゅうきゅうでしたが、開演後は定番曲でイキリヲタクが前へ前へとモッシュするので後ろの方に退避したら楽でした。何も知らない方からすると野蛮な光景なのですが、本人たちはプロレスでやっていて、しんどいのも含めてそういうものだと思うので、当事者たちはさほど気にしていないと思います。ぼくもそんなに気にしないです。

名物となりつつあるころあずのMCですが、今回も落とし物のヲタクのメガネを勝手にかけたり、地元凱旋だからか、母校の中学の名前をうっかり言ってしまったり、バンドメンバーを中途半端ないじり方をしたり、ぶっ飛んでいました。歌ってるときはかっこいいのに、MCの時はゆるい感じなのがいいなあと思います。というかぼくが推しているのはそういうのばっかです。人間的というか。東京公演にも行くのでそちらも今から楽しみです。

 

水戸の夜は短い

帰り道、ご飯を食べて電車を待ってきたら大洗鹿島線が飛び込んできたので、写真を撮りました。これが折り返しで大洗行きになったので、ガルパン聖地巡礼にはお世話になる電車なんでしょうね。

 

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あと、同じ特急電車にさっきのライブのバンドメンバーやスタッフが乗っているとびっくりしますね。似たような現象を2~3回目撃したのですが、慣れません。

 

最後に水戸で一番面白かった写真を貼ります。突然目に飛び込んできたFalloutの広告。馴染みすぎ。

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4月の話

独り言だよ。

 

4月になって非常に暖かくなったなと思います。3月の末周辺が雨降って肌寒かったりしたから余計ですね。
ということは、球春到来ということでもあり、もう少しすると競泳の日本選手権が始まる時期でもあります。プロ野球ファンであり、学生時代に競泳を嗜んでいた自分としては色々思い入れのある月でもあるのです。

ぼくはなぜ、4月が年度初めと呼ばれ、形式的な1年の始まりとなっているのか分かりませんが、これだけうら暖かく、桜の花びらも鶯も飛び交うような陽気であることを鑑みれば、スタートにしたくなる気持ちはわかるなと思います。
ちなみにアメリカに至っては大学のスタートは9月ですからね。なぜなのか。ハリーポッターでは夏にホグワーツに向かう描写がありましたから、イギリスでも9月が始業なのでしょうね。中国では未だに旧暦で動いているところもありますしね。旧正月とかね。文化的な区切りと天文学*1的な区切りは必ずしも同居しないということの証左ですね。

若い人たち

弊社にも大学や各種学校を巣立った若い人がたくさん入社しました。みんなスーツをビシっと着てやる気に満ち溢れているなと感じます。
さらに合わせて、就活生の動きも活発になり、弊社やその近隣の会社にリクルートスーツを着た若者を多く見かけるようになりました。新入社員と就活生がダブルで動いているということで必然的に街を歩く人の平均年齢が下がり、若いっていいわねと思う反面、全員判を押したように黒髪で黒系のスーツで、女子はベージュのコート、という具合で、誰が誰だかわからんわと思いました。人事部の方々には多少の同情を覚えざるを得ません。そりゃカズレーザー目立つわ。

 

とはいえ職場は

会社でも組織改編があったり席替えをしたりして、むりやり新年度感出してきてる感じもしますが、こういう脳を使った作業が多い職業の場合、マンネリ化というのは最も危惧すべき自体の一つではあります。程よく環境面で刺激が加わることによってモチベーションを保ったまま仕事に臨むことができると思います。

ただ、いくらこうやって変化させたからといって、得られないものが2つあります。「華やかさ」「若々しさ」です。

まずうちの部署には、女性がいません。老いも若きも含めて。男だらけです。むさくはないけど華やかさが足りない。
あと、まだ新入社員は研修の真っ最中なので、若い風が部署内に吹くのはまだ先、夏場になってからでしょう。ちょこちょこ自分のような中途の方が入社してはいますが、悲しいかな、遥かに年上なんですよね*2。楽しく働くためには、今までのスキル云々よりもエネルギーを持った自分より若い方々に入ってきてもらうしかないのです。*3
IT業界が賑わってきているというのは今に始まった話ではなく、ここ数年、自分が飛び込むより遥かに前だと認識しているのですが、大学生とか、若い人たちからするとそうでもないのかな?と思ったりしました。たのしいよ。

*1:カレンダー・暦の類は学問的には何に分類されるんでしょうか。天文学だと思っているのですが自信はありません。

*2:ただ、やはり30〜40代の現役エンジニアは、皆さん一定の経験をお持ちで、含蓄やノウハウを多数持っており、そういう話を聞くだけでも良い勉強になるのは間違いないです

*3:これにプラスして技術があれば言うことないですけど

悩み

書きます。

 

GWに新潟に行くことになりました。理由はまあ単純で、自分の好きなバンドがそこでライブをやるからで、だったらお前は関東地方の比較的都市部に近い場所に居を構えているのだから東京の公演に行けばいいじゃないか、という話なのですが、生憎東京での公演は平日で、しかも今アサインしている案件のリリーススケジュールとドンピシャで重なっているため、その日休むことも定時で帰ることもできなさそうだと判断したからです。つらい。

 

別に新潟に行くことになにか抵抗があるわけではないです。金銭的にも時間的にも。ただ遠征であることは変わりないし、人生で初めて新潟県の地を踏むことになるので、いささかの恐怖はあります。あと新幹線で2時間もかかるのか、意外と遠いぞ新潟と思った次第。

 

悩ましいな・・・と思ったのは、新潟駅の新幹線の最終がおよそ21:30頃には発車してしまうということ。そのライブが始まるのが17:30なので、ライブに3時間余り、終わって駅に移動するのに3~40分とすると、ご飯を食べる余裕がありません。ライブで飛んで騒いでへとへとになった状態ですから、ある程度の時間的な余裕は欲しいですし、なによりせっかく新潟に来たんだから、美味しい海の幸とか食べたいじゃないですか。

 

さらに、ライブの時間が3時間余りと書きましたが、本当に3時間あまりで終わるのか?という疑念もあります。要はケツが読めない。
声優ライブやアイドル系のライブであれば、場数を重ねてますので(このライブはこれくらいで終わりそうだな)と予想する事ができるのですが、ロックバンドのライブってそこまでたくさん行ったことがないので、不意に長くなったりしそうで怖いんですよね。終電が差し迫っているから泣く泣くライブの途中で抜けなければならない・・・というのは悲しい。

 

万万が一、間に合わない!となった場合の回避策として、高速バスがあります。高速バスなら23時台まで便が出ているので、ライブが終わった後、飲み屋でぷしゅーっとやったあとガン寝しながら帰ることができます。着くのも翌日の早朝なので、まあ予定はありますがさほど影響を与えることはありません。

 

ただ、実は新幹線を使ったほうが高速バスより安く行けるのです。えきねっとの「お先にトクだ値」という割引サービスには、35%OFFという悪魔のような割引レートが設定されているので、7000円弱ですみます。
勿論バスで極限まで安く抑えようと思えば5000円台とかで抑えるのは可能ですが、6時間以上乗るわけなので、4列座席のエコノミークラスみたいなクソ硬い座席のバスはアウトオブ眼中です。少なくとも3列、できれば連席になっていない、独立シートの席構成になっているのが望ましい。なので、このような条件だと8000円前後が価格帯の中心のようでして、新幹線よりどうしても高くなってしまいます。新幹線ならその日のうちに自宅に帰り、慣れたベッドの上で眠りにつくことができ、眠りの質が全く違います。

 

現地でゆとりのあるスケジュールを組みバスで帰るか、翌日の予定を重視しその日のうちに家に帰るか、悩ましいところです。きっと週末、東京に遠征で来ている方々はこのようなジレンマを抱えながらイベントに参加しているのだろう、と少し気持ちがわかったような気がします。

会社で送別会の幹事をやってわかったこと

現職にうつって数ヶ月が経ちます。

そろそろ新しい水になれて、受け持つ開発タスクも増え、最初の一にも二にも勉強とキャッチアップ、だった頃を考えると「ああエンジニアやってんなー」という実感を遥かに多く得られます。
新しいプロジェクトにアサインするとこればかりは仕方ないのですが、コードを書いているあいだ、試行錯誤しているあいだが(今まで経験してきた業務の中で)一番充足感を得られる瞬間でもあり、楽しいです。*1

全てはこの発声から始まった

そんな自分に、ある日、上長がつかつかとやってきて、こう言ってのけました。

 

「3月で退職する○○さんの送別会の幹事、お願いできる?」

 

きた。「飲み会幹事」とかいう世界一ク○な(主観)タスク!!!

なぜ○ソなのかという自己弁護をしますと、

  • 自分が研鑽しないといけないスキルと、幹事を務めることで得られるスキルが九分九厘噛み合ってない
  • ただでさえ会社の飲み会に行きたくないのにましてや主催など
  • ただただ面倒くさい

要は「幹事をやることで得られる旨味がない」と思っている。ということです。

 

ただ、サークルの飲み会で一気飲みをお願いするかわいい後輩の女の子のそれと一緒で、上司の命令は勅令に等しいので、とりあえず、やらねばならない。そこには慈悲はない。というそれだけのことなのです。

そして先週末、なんとか会を催行し、無事終えることができました。まあ、個々の満足度を上げるよりも、会を無事にやりきるという方が重要だったので、そのへんはちゃんとできたかなと思っています。

 

今回幹事をやってみて、いろいろ分かったことがあるので、書いていきます。

色々書きますが、結論を先に言うと、現代社会はもっと幹事に優しく・寛容であるべき」ということだけです。それだけを強く言いたい。

 

金銭問題には素早くデリケートに、かつ恩赦の気持ちを持って

会費の徴収、というか人からお金を巻き上げるのが苦手です。自分自身がお金の問題に対してセンシティブなお気持ちを持っているので、なかなか上司の机をひとつひとつ回りながらお伺いを立てつつ徴収するのは重荷でもあります。

単純に計算してみるとわかりますが、20人規模で3500円のコースを予約した場合、70000円のお金の動きが発生します。プラス、贈呈する花束代やプレゼント代や、回収できない主賓分の飲み会代・・・外部の出費は他にもあります。
幹事を務めるのは新入社員や入社したばかりの若手社員が任命されることが多い。ニアリーイコール、所得や蓄えをそれほど多く持たない人たちです。

債権回収が当日までに未達となった瞬間、どうなるか。(少なくとも幹事当事者にとっては)軽視できないレベルの赤字が発生しかねません。クレジットカードで急場を凌ぐこともできますが、現金で払えというお店も少なくありません。
月末に開けば給料日後だからプールがある、とかそういう問題でもありません。なぜなら幹事には自分の生活があって、その支出の引き落としの多くが給料日直後*2に控えているからです。

宵越しの銭は持たない的なアレではありませんが、幹事に何万も建て替えられるような余裕は多くないと思います。だから、幹事が「払ってください」と言ったら、真っ先に払ってあげてください。

幹事はお金の管理は自分のお金以上に慎重にすべきです。机の引き出しにしまっておくなどルーズな扱いをせず、幹事しか触れない場所を予め決めておき、貰ったらこまめにそこに突っ込むように心がけると良いと思います。また、簡易的なExcelレベルでいいので収支や集金状況を取りまとめておくと安心感があります。自分からも周りからも、両方の意味で。

 あと、これはマナーとか価値観的なことだと思うのですが、主賓に会費の話を持ち出すのは止めたほうがいいと思います。*3面倒ですが、なるべく主賓のいない場所でしましょう。

勿論値段設定は少々強気ぐらいでいいと思います。ここから花束とか諸経費を捻出しなければ行けない場合もあるし、なにより赤字補填なんてしてたら幹事なんて何もいいことないからね。役職が上の人間からどんどん巻き上げちゃってください。

careerpark.jp

参考までに、今回の飲み会の値段設定を書き残しておきます。コース自体は一人3500円(幹事無料)の飲み放題コースです。

  • 一般社員: ¥4,000
  • チームリーダー: ¥6,000
  • 課長: ¥7,000
  • 部長: ¥8,000
  • 取締役: ¥10,000

 

日程調整のレスポンスは瞬速で

弊社、仕事関係(打ち合わせとか)にかぎらず、社内の飲み会もOutlookの会議通知を使って一括管理しています。あれやこれや使うよりよっぽどいいなとは思うのですが。
その際、人数確認をするために、Outlookの会議通知を使って出欠をとります。当然返信をお願いすることになるのですが、その返信が異常に遅い人が時折いるのです。

これは別に文句でも愚痴でもないのでいいのですが、今回、告知〜当日までなんの返信もないので、来ないもんだと思っていたらしれっと店にいて席に座っていた、という人がいました。
おそらくですが、9割以上の飲食店で飲み会をするなら、事前に人数を確定させないといけないと思うので、いつまでたってもレスポンスが来ない方の分は必然的に不参加としてみなすしかありません。お店に伝えていた人数ともズレが生じるので、こういうのは当日キャンセル以上にギルティな行為です。
表ではニコニコ笑っていましたが心のなかではブチ○すぞと呪詛をかけていました(冗談です)。まあちゃんと通常参加者より2割増しで徴収してやりましたけどね。ほほほ。

勿論、年度末でしたし、仕事やらなんやら忙しいのは痛いほどわかります。だからこそスケジュール調整優先度を各々が上げ、行けるかどうかわかった時点ですぐ返信するのが幹事にとっても参加者にとっても店にとってもハッピーです。優しい世界。

幹事も幹事でやはりしつこいくらいアナウンスを投げまくるのが最も古典的かつ効果的なのではないかなと思います。
また、開催日までは段階的にプランを立てて余裕をもった段取りを心がけたいところです。幹事をやると決まったら速攻で主賓のスケジュールを抑え、開催日が決まった時点で第一報を打ち、こまめにアップデートをしていきましょう。
以下は例です。主賓の日程が調整できた時点で開催日を決め打ち、後は逆算です。

  • 開催日
  • (人数確定日:開催日前日)
  • (最大人数申告日:開催日の7日前)
  • お店決定・告知:開催日の15日前
  • 主賓(絶対に参加してくれないと困る人)の調整:開催日の21~25日前

お店とのやりとりは厳守しなければならないので、人数を確定する締め切りがある場合には前日までにレスポンスを集めきるのが理想的です。守らない人に対してはガンガンケツを蹴りましょう。

できることなら主賓には我儘を言ってほしい

幹事にとってお店選びはその会の成否を99%左右します。手練手管でお店通の幹事であれば、人数規模や会の趣旨など、様々な要素を勘案して最良の店をたちどころに見つけ出すでしょう。
しかし殆どの人間にそんなスキルはありませんので、そういう時はメインキャストの方に食べたい物や行ってみたい店などを聞いたりします。

この時、主賓はできるだけリクエストを告げてあげることが求められます。「どこでもいい」は幹事の首を締めることにしかならないため、何かしら我儘を告げてあげましょう。直感でもいいと思います。

 

手を抜けるところは手を抜く

職場の慣習とか過去の事例とか、そういう点によりけりな感じはしますが、楽できるところはスパッと楽して、必要以上の労力を背負わないようにするのも幹事として重要なのかなと思います。
自分の場合、例えば花束は完全に花屋に丸投げでした。花はおまかせ、予算と送別というシチュエーションだけ伝えて当日に取りに行くだけ。ズブの素人がうんうん悩んで考えたところで、結局はプロに頼んだほうが1000000倍早いしいいものができます。

色紙も取りまとめとかが一番面倒くさいので、調べてみると色紙に貼るメッセージシールとかがあるんだなとわかります。参加したことはあっても調べてみないと分からないですね、こういうのは。こちらも色紙そのものを回してもらうより遥かに楽です。

www.shikishi.net

プレゼントも、百貨店に行って店員さんに予算を伝えて選んでもらいました。渡す相手のある程度の情報を伝えて、おすすめはどれかとか、どの色がよいかとか、聞きまくればいいと思います。相手もプロなので。

 

結局は「既成事実」を作れれば良い

色々書いてきましたが、幹事ははっきり言って大変です。これを仕事の合間や出退勤前後の時間を使って動かなければいけないというのが更に大変です。入社して間もない若手社員にとってはなおさらのことです。
そういうときこそ、「何のために送別会をするのか」を考えてみると、

  • メンバーの大半が納得する形で
  • 送り出す機会を設け
  • 「送別した」という事実を作ること

なのではないかと。
会社の個々の社風とかにもよりますが、こう考えると大層な質は求められてなくて、ある程度楽しんでもらうことがなにより重要なのかなと思います。

まああとは、ある程度の規模になれば、幹事を過去に経験した方はどの会社にも探せばいらっしゃると思うので、困ったらSOSを出して助けを請いましょう。
経験者はノウハウの共有ができると幹事はだいぶ楽になるかな。なので困っている幹事がいたらぜひ助けてあげてください。0から1を生み出すのが1番辛いので。

*1:あと立場的にペーペーなので、マネジメントとか、エンジニアとしての業務以外を一切合切気にしなくてもいいというのもでかいです。執行猶予5年。

*2:様々ありますが、具体的に書くと27日近辺。

*3:別に耳に入ってしまうくらいはいいでしょうけど、直接言うのはなしかな。

所信表明 ~今の自分に必要な「課金」は何か~

本来的にはこんなところに書くことではないし、どうでもいいことなのだが、何かに書き残しておかないと決意が揺らいだり忘れたりしそうなので、書く。

 

ニコニコ動画のプレミアム会員を解約することにした

思えば、プレミアム会員になって5年以上経つのではないでしょうか。当時の弊宅のインターネット回線は、時代遅れ甚だしいADSLで、今はなき友人マリオを1パート見るのに30分以上読み込みを待たなければならず、餌が降りてくるのを待つ家畜のような感じでした。
しかしそれでも待つのはそれほど苦ではなくて、それが何故かと考えたときに"面白いとわかっていたから"、"他の動画サイトでは見ることができないから"、だったなと思います。*1

プレミアム会員は革命だと思いました。見たい動画が何にも邪魔されずサクサクと見れるようになる。ニコ生もあとから見たい時に見たいものを見れるようになったし、ついでにインターネット回線も光ファイバーになった。すなわち自分にとってストレスフリーの世界であり、ぼくはいち視聴者としてこの世界を謳歌していました。

悲しいことに、5年たった今、その前提は崩れつつあります。前提にあった「見たい動画」がめっきりと減ってしまい、若い人のものだったニコニコ動画はより若い人の物になっているなあと感じるようになりました。コンテンツが発掘されれば急激なスピードで消費され、目を離していたすきに流行は移り変わる。
最近10周年を迎えた初音ミクにしても、「してやんよ」や「メルト」の頃はいろいろ聞いてたけど、もう古典だからね。最近の曲わからないし。

 

↑自分が聴いた初音ミク楽曲の中で一番好きな曲です。これももう10年・・・


好んで見ていたうp主も何人かいましたが、投稿をやめたり(自分の目から見て)面白くなくなったり。
アニメが配信されるようになってからは「テレビ録画する手間が省けた」と喜々として見ていましたが、今期に関してはごっそり無料配信が減りましたし、野球配信もスポナビがあればいいし。


つまりはニコ動が悪くなったのではなく、自分の物差しに合わなくなったというだけなんだと思います。プレミアム会員としてお金を払い続けるのもそろそろ潮時なのかなと。一旦そうなってしまったコンテンツに対して、月々500円払える余裕は、悲しいかな現代日本には存在しないのです。

 

浮いたお金を何に使うか

逃げ道をなくすために、月々500円、年間6000円の資金猶予を何に使うか、その場で考えることにした。
そして、申し込みました。

schoo.jp

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6000(500*12) - 9800 = -3800

 

赤字。

 

ただ、今までの自分に一番足りていなかったのは、「自分に投資する姿勢」というところだなと思ったので、その第一歩として、思い切った買い物だけど後悔はそれほどしていないです。
*2

月額課金って、なあなあで支払いがちで、気をつけないと見直しの機会もないし、環境を変えるのはけっこう勇気のいることだけど、
でもそれは変化する自分の状況からも目を背けることになるので、そこにちゃんと光を当てて、"今自分に必要な課金は何か"を考えるのって大事だなと思いました。おわり。

*1:以前、どこかのスレッドで「いくら金を出しても見られないものがごろごろ転がっているのがニコニコ動画のいいところ」という論旨の文章を見かけて膝を打った記憶があります。ソース見つけられなかったけどね

*2:まあ、請求を見たときに、やっちまったと思うことになるんだろうけど・・・