猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

配信の味は蜜の味

SUMMER CHAMPION 2020 ~Minori Chihara 12th Summer Live~

見た。

minori-summerchampion.jp

 

正直に言うと、発表されてからの数カ月はみのりんの楽曲やライブからは避けるようにして生きていた(意図的なものか、本能的なものかは判然としないが)。だから本当に彼女のライブが、曲が久しぶりで、ああ私の体に10年以上刻まれた音楽はこれでしたという、自分の原点にタイムスリップしたような、そんなライブだった。個人的には「ステラステージ」を初めてステラシアターで見れてよかったなと思う。現地で見たかったけど。

演出も良かった。ステージの裏でのアコースティックコーナーや、客席にぬいぐるみと一緒に座って歌ったり。配信ならではの今まで見られなかったカメラワークもあった。ステラシアターの構造ゆえ、今までほぼステージワークを楽しむ(客席の通路に上がってきたりもするが)以外なかったのが、画面を通してみのりんやCMBの姿をより至近で見れるというのはとても良い。

 

いつもの河口湖ライブと大きく異なったのは、とある一件についてMCで説明と謝罪があったことだろう。今回のライブには本当はいつもみのりんと一緒にステージに立っている室屋光一郎大先生がおらず、見ていて強烈な違和感があったのは事実だが、まああの一件のせいだなと思っていたのでなんとなく背景を察することはできた。

以前も書いたが、またどこかで彼がみのりんと同じステージに立つと信じて疑っていなかった(なんならこのライブに出てくるものだと思っていたので)。それは今まで茅原実里というアーティストが紡いできた音楽のそばには必ずと言っていいほど彼がいたからだ。彼のストリングスがどれだけ茅原実里の音楽の世界を広げてきたのか、ファンが一番良く知っている。2人がやったことは相応に重いことだが、それをもってしてもアーティストとしての関係を安易に終わりにできるような実績ではないということも。それだけにこういう形でお別れになってしまうのはとても悲しいしとても残念だ。

 

みのりんは「どれだけファンのことを傷つけたか、関係者の方々に迷惑をかけたか」、「このステージに上ることもためらっていた」という趣旨のことを話していた。嫌味の1つや2つないと言ったら嘘になるし、この先アーティスト茅原実里がどう歩んでいくのかという不安がないと言ったらこれも嘘になる。けれど、そのあとにみのりんが選んだ楽曲と、ステージ上での姿で、ぼくはもう十分に彼女からのメッセージを受け取ったと思えたし、ぼくは1ファンとして彼女が進む道を見守るだけだ、というある種の決心もできた。彼と袂を分かつということがどれだけ重い決断なのかを知っているからこそ。

そも15年もこの業界でアーティスト活動を継続できるということ自体がそれだけで奇跡的なことだし、その奇跡を引き寄せているのが彼女の楽曲であり、パフォーマンスであり、ライブ当日に梅雨明けさせてしまう伝説的晴れ女パワーであり、何より彼女の人柄によるところだというのは、決して嘘ではないと思う。

 

配信ライブという新しい潮流について

新しい生活様式は今後数年以上、下手したら今後ずっと続くとも言われている中、ここ数ヶ月配信でライブを見る機会を度々得ている。断然生で見る派だったのでどうかなーと思っていたけれど、意外にいいものだという事がわかってきた。何よりも演出がアーティストによって様々で多様性があるのがいいところだと思う。ソリッドに演奏を見せるものも、客席まで使って大掛かりな演出をするものも、そのアーティストのスタンスやアイデア次第だし、今までと全く異なる演出が見れるのは単純に楽しい。他にも色々いいことがある。

  • 交通費やそれによる移動コスト(時間など)が一切かからない
  • 遠征にかかる諸々もかからない(遠征はしたくなったら旅行という形ですれば良いので)
  • ライブを見ながらご飯が食べられる
  • ライブを見ながら酒が飲める
  • ライブを見ながら内職ができる
  • チケット代が安いのでその分お気持ちをお布施や物販に回せる
  • チケットの売り切れを心配しなくていい
  • チケットを忘れる心配をしなくていい
  • アーティストが豆粒にしか見えないという不満がない

一方、今までの生感、一体感こそライブであろうという思いも、ないわけではない。特に音響やライブ会場での様々な演出、それらから生み出される没入感。多くの名前も知らない、ただ同じアーティストのファンという繋がりだけでたまたま同じライブに来た赤の他人と一緒にその空気を楽しむ共犯関係。これらがライブの醍醐味でこのカタルシスを味わいたくて今まで好きなアーティストのライブに足繁く通っていたのだ。コロナウイルスの不安なくそれが楽しめるようになるのがいつになるのか、僕には見当もつかないけれど。

今後この災禍が下火になっていくのかどうかは分からないけれど、たとえどれだけ沈静化して、(ありえないが)コロナウイルスが完全に収束したとしても、ライブは「配信」と「現場」の2通りに分離していくことになると思う。配信ライブは形を変えこそすれ、なくなることはないだろう。なぜなら儲かるからだ。

 

先月欅坂・日向坂が相次いで配信ライブを挙行したが、双方チケット売上枚数が9万枚に達している。*1そもそも9万人を収容するライブをやろうとしても現状可能な箱は存在せず、必然的に野外フェスレベルの会場を構築するしかないわけだが、これにチケット金額をかけ合わせると、単純計算だがチケットだけで売上は3億を超える。これはドームで単価9000円にしたら届くかどうかという額であり、実際のライブで実現するのは並大抵のことではない。配信をチケット入手難になりがちなアーティスト、例えば嵐が同じことをしたらどれだけ売れるのか想像もつかない。人気度、ファン層の大きさが大きければ大きいほど、アーティストサイドにとっても配信ライブには可能性がある。ビジネスとして成立するというファクターは波を加速させ大きくするのに十分なエンジンになりうる。

配信形態は、従来からあった映画館での「ライブ・ビューイング」にとどまらず、他の施設や飲食店含めた規模の異なる配信も含めてもっと細分化していくかもしれない。それぞれの楽しみたい環境やニーズに合わせてライブが迎合していく、そんな新しい形態を、僕は期待したいし、歓迎したいと思う。