猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

アニが先かソンが先か

アニメソングというのは、ある程度前までは確実にアニメありきのものだった。「マジンガーZ」がなかったら「ゼエエエエエエット!!!」は生まれないし、「めざせポケモンマスター」という楽曲がタイトルそのままに「ポケットモンスター」というアニメに従属していることは誰も疑わない。しかしこれが一部の文脈において、この関係性は崩れつつある。というか、崩壊している。要はアニを切り離しても、ソンだけで成立する楽曲がある、もしくはアニソンにアニメを求めないリスナーが確実に存在する。

 

前者の例で有名なのは、WANDSGARNET CROW・B'z・ZARD等々で固めたコナンのビーイング枠だろうか。これらの楽曲は(あくまで表面的に捉えたら、の話)アニメに従属させることを目的として作られた歌*1ではなく、アニメを見ている人はアニソンとして、歌だけ知っている人はポップス(あるいはロックナンバー)の一部として、要はアーティストの一楽曲として受容している。

要はアニメのために作られた曲なのかそうでないのかというところである。例えば銀魂で有名なDOESの曇天は、タイアップを前提に作られた曲ではなく、アニメ側からのオファーで採用されたことをアーティストが示唆している。*2 もっとも、アニメ側も全く相性やもろもろを一切考慮せずタイアップするということはないはずだが。

  

後者はアニメ以外の属性に楽曲の特異性を求める動きである。具体的には声優ファンの存在を考証するといい。好きな声優アーティストがリリースした楽曲をきっかけにタイアップされたアニメを見始めるということもあるだろうとは思う。なぜなら自分がそうだから。だが、単純に「その声優*3が好きだから」という理由で、楽曲それのみを享受するファンが存在することもまた事実である。なぜなら自分がそうだから。

この傾向は声優だけではない。アニソンアーティスト、作詞者、作曲者、果ては後ろで関わるスタッフ、果てはレーベルなど。何に軸足を置いて楽曲を聴くか、人によってそれは大きく色を異にするし、それによって見える景色はだいぶ変わってくるだろうと思う。

 

長々書いたが、何が言いたいかというと、こういうアニとソンの乖離を、アニソンフェスはどう受け止めて進むべきなんだろう、*4と思ったという話。ぼくはよくアニソンフェスに行くのだが、リスナーによってアニソンとの接点やリスニングスタイルが多様化している今、単にアニソンフェスを標榜するのは、無意味とは言わないけど、前ほど意義あることじゃないんじゃないかなあと思う。そういったライブでは、アニメを見て、アニソンに触れ、ライブでそのリンクを楽しむという、楽曲の背後にある文脈を同じく共有していることが前提になっているような演出がよくあったりするのだが、人によっては押し付けのように感じることもあるかもしれない*5。今、これからのアニソンフェスに求められているのは、単にたのしいライブじゃなくて、そのなかでどういう色を前に出すかということなのではないか、という気がする。

 

*1:特にコナン以降、犬夜叉ブラック・ジャックなど、読売テレビ系列のアニメはこういう楽曲を起用する傾向が強い印象がある

*2:

www.barks.jp

*3:厳密にはアーティストという肩書になるが

*4:特定のフェスをディスったりする意図ではない

*5:もちろん、これを全面に出すというのもアニソンライブとしての個性だから、否定するつもりはない