猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

20年先の崖

anond.hatelabo.jp

 

ああこれが20年後の自分なんだなとはっきり思った。

この人と少し違いがあるとすれば、自分が同じ立場に立ったとき、恨む先は人生じゃなくて過去の自分なんだろうなと思います。お恥ずかしい話、他人との性交経験はありませんし、交際経験はないわけじゃないけどうら若きティーンズの話で、結局お相手の浮気発覚により1年足らずで過ぎ去ったため何も申し上げることはありません。今も昔も「誰かと恋愛したい、交際したい、結婚したい、セックスしたい」というような、所謂「愛欲」が皆無です。そんな状態でマッチングアプリなんか使ったところで、合コンに行ったところでろくなことにならないのは分かっているから。それ以前に誰かと新たに関わりを持つのが億劫というのもあります。

もちろん、今後恋愛したくなるきっかけ*1、突き動かされるような何かがないとは思いません。ただ30というひとつの区切りに近づいている中で賞味期限もそろそろ切れてくるんじゃないか?という世間の波、それに棍棒しか装備していないような丸腰状態でどう立ち向かえばいいのかわかりません。友達もいないし。

「童貞のまま死ぬ」ことについて恐怖は特にないです。それは童貞であることにそれほどコンプレックスや危機感を感じていないからかもしれないし、あるいは死が差し迫った危機ではないからかもしれません。性欲はありますが手で扱けば終わりです。

ブコメを見ましたが、同情したりなんとか打開する方法を残している方の中に、「そのまま滅びてしまったほうがマシ(意訳)」という方もいて、諦念に差し掛かりつつもどこかでやりきれない、でももう意欲がないみたいな状態で最後の一滴を吐き出した結果としてあの叫びがあるのだとしたら、後者のほうがまだ救いがあるのかなあと思ってしまいます。

フォアグラは食べないまま死ねばその人の中では世界三大珍味でもフェラガモの臓器でもなく「フォアグラ」という概念として霧散させることができます。同じように、性行為も結婚も恋愛も、終生遂げることなく滅びることで一個体の中で概念に昇華できるんじゃないでしょうか。今の自分が目指す先はそこだと思います。知らんけど。

 

しかし、まあ結局、この一文に集約されているような気がします。強烈なシンパシーを感じる。これなら滅びろと言われてもしょうがない気がします。

47年間の人生自分好意を持ってくれる異性が一人もいなかった

*1:間違いなく言えることは、それが親からの「圧力」であることは一切ないということです