アルミ缶の上にある未完
1 欠けた所がない。「完全・完備・完膚・完璧(かんぺき)・完本」
ぼくは「完」という言葉があまり好きではありません。「完成」「完全」「完璧」とか。なぜならそれらは存在し得ない(と思っている)からです。
「完成」したようにみえているのは「終わった」だけ。
「完全」に見えるのは「そう要請されている」から。
「完璧」はたんなる「満足」です。
世界はいつでも不完全で、未完成である。人智(人知)など取るに足らず、自然も言うに及ばず。生きとし生けるものは皆、仮初めの「完」に横たわって生きていくしかない。それを嘲笑うかのように、度々、何の差配か、天上の気まぐれのような出来事が起こる。果たして、その見えざる手は一体何なのか。神か、人か、あるいは、言語にするにも憚られるような「何か」か。願わくば、永遠の安寧がそのものによってもたらされんことを。
・・・というようなことを、とある写真集のタイトルを見ていて思いました。なんというか、欅坂って、若年期特有の不安定さ、危うさをここまで投影したアイドルグループだなあと思っていて、そんなアイドルグループって他にないんじゃないかなと思って。なんとも今に全振り、刹那的な感じが目を離せなくなるアイドルだなと思います。イチローや大谷翔平を見ているのと同じ感覚。