猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

アイドルのおかげでぼくの2018年の目標(くだらない方)が決まった

経緯と立ち位置

自分が乃木坂46、そして欅坂46というアイドルユニットと出会ったのが今年のことです。それまでは「名前はしってるけど、まああれでしょ、AKBみたいなもんでしょ」みたいな、ちょっと世情に明るい巣鴨のおばあちゃんと何ら変わらない立ち位置だったのですが、たまたま「乃木坂工事中」と「欅って、書けない?」を見て、ハマりました。ステージの上とは違って、衣装を着てみんなきらきらしてるのに、素なんですよね。普通に笑ったりリアクション取ったりする姿に、やられました。お陰で、月曜日の朝は1時間早く起きて録画した2番組を見てから出社するという謎の生活習慣が定着し、遅刻率が激減しました。本当に六本木や乃木坂方面には足を向けて寝られません。ありがたや。

声優や二次元アイドルならともかく、3次元アイドルにここまで惹かれるとは思ってもいなかったので自分で自分にびっくりしています。でもまあ、なんだろうね。社会人になってから生身の女性と交流する機会が激減したまま低空飛行を続けているのでその反動なのかもしれないなとはおもったりしますが。

でもまだ踏み越えられない一線があって、例えば握手会とか、そんな「閉じた」関係性が3次元アイドルの醍醐味で、それ目当てでオタク続けてるところある、みたいな人いるじゃないですか。なんですか、認知ですか?なんとかこちらの存在に気がついてほしくて、何周もしたりとか。そこにぼくもいきたいとは、今のところですが、思えません。声豚長くこじらせすぎたせいなのか、「楽しそうに歌って踊って喋ってる姿が見れるだけで幸せ」なんですよ。「いやいや俺の存在なんか気にしなくていいから楽しくアイドル続けてよ」みたいな。まあ声豚もレス欲しくて大声あげたり、ラジオにメールバカスカ送ったりするから、そんなにかわらないか。

ライブは好きですよ。いずれもぜひ行きたいと思っています。乃木坂の東京ドーム公演も仕事がたてこんで行けなかったし。悲しい。

 

百合とはに触れた2017

そんなんがあってある日、「欅って、書けない?」の2人ロケマッチングの回を観ました。メンバー同士が一緒にロケに行きたい娘を1人選び、相手も自分を選んでいたらカップル成立、ロケに行ける権を得るというもので、さながらフィーリングカップルです。(まあ仲良しこよしなメンバー同士がキャッキャウフフするんやろなあ、ええなあ)と思いながら再生したら衝撃でした。カメラの前でのハグは当たり前、メンバーから飛び出すのは相手に対する愛の言葉の数々、そして成立するカップルの多さや敗残兵となったメンバーの痛切な表情・・・いやいやお前らあまりにもあまりにもすぎるだろどうなってんだと。これで営業ならもうそれでもいいです。営業万歳〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!って感じです。乗せられてやるぜこのビッグウェーブに。

坂道オタクの知人にそのことを話したら、自分が見る前にもっと衝撃的な回があったらしく、欅の番組をリッピングした青盤を貸してもらってその問題の回を見ました。詳しくは「欅坂46 カップル」とかでググると方方乗っていたりするので見てください。ぼくはもう、鼻血が止まりませんでした。中原麻衣清水愛がPVでキスした時以来、あるいはなもり先生の名著「ゆりゆり」を読んだ時以来です。

いや、うら若きメンバーのあれやこれや、当の本人からしたら真剣な人間関係の悩みなのに、それを娯楽として享受しあまつさえ鼻血ブーとか、歪みまくってるだろという背徳感、罪悪感はもちろんあるのですが、それすら踏み越えてしまうのがいわゆる「脳内補完」「妄想」というやつです。まあでも、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、そんじょそこらの百合漫画では太刀打ちできないような人間関係が展開されている空間が現実にあると思うと興奮するし、女子高に百合展開なんてないと言われても「絶対嘘でしょ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」としか思えなくなる。ろくに知りもしないのに。

 

百合の深淵を覗きたい2018

とはいえ、今の自分が百合を語るには百合の素養がない。それは今まで、百合の文学にろくに触れてこなかったからです。その道の金字塔たるマリみて然り、百合純文学史に燦然と輝くささめきこと然り。そのせいで、ただ「女の子同士がイチャイチャしてるの、なんとなく好き」以外に自分の感情を発露する言葉を持たざる者となってしまっている現状がある。なので、2018年はそのような百合文学に触れ、貪ることで、この百合という世界の沼に飛び込んでいくことを目標とします。来年も楽しくなりそうな予感がします。