猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

あの一件と、審判に求められるもの

今更、こんな記事を見つけてしまったので、

number.bunshun.jp

 

大変に今更ながら自分の考えを書いてみる。

行為だけ見れば、喧嘩両成敗ではないが、佐々木朗希投手にも白井球審にも両方に落ち度があるように見える。双方とも「感情がコントロールできていなかった」というのはある意味でその通りなのだろう。
ただ、この件の本質って、↑にあるような、審判のレベルがどうとか、批判ばっかりされるから大変とかミスはつきものだから叩くなとか、そういう話ではないんじゃないの?ということです。まあ、佐々木朗希投手だったからあれだけセンセーショナルになってしまったというのはあると思うけど。

(あの場面だけ見たら、20歳そこいらの若者二人にオラつく中年のおっさんの構図って、なかなか厳しいものがあると思うんだけどな。選手と審判という関係性を含めても)

憶測でしか論じられない

この件で、個人的に一番問題だと思っていることは、当事者である白井球審も、千葉ロッテマリーンズ側(佐々木朗希・松川虎生・井口監督など)も、当時のあの一連の行為の意図や背景について公にコメントしていないことだ*1
一件を振り返って、軽く考えるだけでも、自分は双方に対して以下のような疑問点がいくつか浮かんでくる。

  • 佐々木朗希投手
    • 何に対してマウンド上で苦笑いを浮かべたのか。
    • なぜマウンド上で苦笑いを浮かべたのか。
    • 白井球審が詰め寄ってくるのを見て、何のことか推測ができたのか。
    • 苦笑いを浮かべたことを、白井球審が侮辱行為と解釈した(かもしれない)ということを理解できたのか。
  • 松川虎生捕手
    • 白井球審と佐々木朗希投手の間に入って仲裁しようとしたのはなぜか。
    • 松川虎生捕手が聞き取れる範囲で、白井球審は佐々木朗希に対して何と言っていたのか。
    • 松川虎生捕手は白井球審になんと声をかけたのか。
  • 白井球審
    • 佐々木朗希投手に詰め寄ったきっかけはなにか。
    • なぜ佐々木朗希投手に詰め寄ったのか。
    • 詰め寄る際、佐々木朗希投手に対して何と言ったのか。
    • その行為以前にも佐々木朗希投手の行為に疑義のようなものを感じていたのか。
    • 詰め寄る行為を振り返って(タイミング、行為の内容、かけた言葉、)、適切だったと考えているのかどうか。
    • 次回以降、自身が球審を務める試合で同じようなことがあったとしたら*2、どう対処するつもりなのか。

もちろん、答えなくても良いことも含まれているだろうが、肝心なのはあの件について判断できる情報、特に背景や当事者による行為の意図がほとんどないということだ。それらがわからなければどうなるか。経緯を部外者が推測で判断するしかなくなる。「あれは〇〇だったのだろう。だから××が悪い」といった形だ。
本当は佐々木朗希投手はストライク/ボールのジャッジが不服だったわけではなかったかもしれないし、本当は白井球審は恫喝するつもりはなくて、「今のは審判から見たら侮辱行為に見えるから気をつけたほうが良いよ」ぐらいのちょっと気の利いたアドバイスをするくらいのつもりだった可能性もある。こういう情報があるだけでも受け止め方はだいぶ変わるはずだし、白井球審にとってもいわれのない非難に対する多少の弁明の機会にもなるはずなのに、誰も何もコメントしないので、判断材料がない。そうすると当事者に対する過剰なバッシングや擁護といった、極めて不毛な場外乱闘がネット上で起こることになる。
審判がなければ試合は始められないのは確かにそのとおりだが、その試合に金を払って見ている観客がいるということを忘れないでほしい。あの試合を球場で見ていたファンからすると、「マウンド上の投手に審判が詰め寄って捕手が宥めている」という特異な光景に対して、一切の説明が試合中も後もなされないということであり、それが異常では?と感じるのは自分だけではないと信じている。

 

余談として、上記の前提は

  • NPB・審判団・選手会の間で
  • 本件の経緯や起こった原因について認識が一致していて
  • 今後再発しない、もしくは再発したときに適切な対応を認識できている

のであれば話は別である。
ただしファンは置き去りのままなので、それが良いのかどうかは別の問題として残る。

 

審判の地位を貶めているのは誰か

この件に関連して、当時のSNSではそもそも審判の仕事の大変さや本来あるべき権威について理解すべきだと言った↑の記事のような意見をよく見た。私は野球をほとんどやったこともなければ、審判の勉強をしたこともない、ただの1プロ野球ファンである。その立場として言うならば、「審判の権威に傷をつけているのは他ならない審判自身の振る舞いである」と思っている。

 

ジャッジの透明性について

まず、審判の判定に対する説明は致命的なレベルで明瞭さを欠いている。昨今はリクエスト制度の定着で頻度は減ったが、導入前のリプレイ検証時、審判が説明するシーンは、どうしても要領を得ないケースが多い。

 

これはまだいい方。

youtu.be

出羽守になってしまうのは非常に心苦しいのだが、サッカーやアメフト、ラグビーなど、他のスポーツ競技を見ていて、野球の審判と決定的に違うのは「判定ややりとりに透明性がある」ということである。アメフトやラグビーの場合、主審にピンマイクがついていて、ジャッジのコールや選手とのやり取りを第三者からも明瞭に把握することができる。言い換えれば「ラグビーやアメフトの試合では今回のようなことはめったに起こり得ない」ということだ。

 

ストライクゾーンの精度について

冒頭の記事(https://number.bunshun.jp/articles/-/853100?page=4)から抜粋する。

アマではボール1個分くらい外れていてもキャッチャーがいい音を鳴らして捕ればストライクになることがありますが、プロの審判はそれがほとんどありません。自分のゾーンが確立されています。

(中略)

今回もあの1球だけ切り取ればストライクだろうと思う人も多いかもしれませんが、試合を通じて低目のボールには厳しかった。

「自分のゾーン」とか「低めに厳しい」とか、こういうところなんだよな、としか思えない。そもそもストライクゾーンは公認野球規則で明瞭に決まっている*3わけで、100人の審判が100人同じゾーンでストライク・ボールをジャッジしなければならないはずだ。もちろん捕手側のボールをストライクに見せる捕球技術との駆け引きもあるだろうが、原理原則としては「同じ軌道のボールはすべて同じジャッジになる」はずである。なぜその日の審判のジャッジの特性に投手側が寄せなければならないのか?だからストライク・ボールの判定をロボットにやらせたらええんちゃうんかという論になったのである。それをやれ尊厳だなんだという抽象的な概念で混ぜっ返していい問題ではない。

審判も人間だからミスをするというのは、人間が審判をしている以上否定しない。ただし、一つのジャッジミスが試合を左右しかねないという特性上、また審判の尊厳を守るためにも、あのとき適切なジャッジができていたのかどうか、次の試合までにどう修正すればよいか等、判定の精度について振り返る機会が必要だと思う。*4
より踏み込んだことを言えばメジャーのようにストライクゾーンを可視化し、この日の審判はボールゾーンを何球ストライクとコールしたかなど、ゾーンの精度について詳らかにしても良い。「ストライクかボールの判定に異議を唱えることが許されない」のならば、これくらいの透明性はあって然るべきだ。

 

ロボットは完全に代替できない、からこそ

審判の役割は判定だけではなく、試合を円滑にすすめるということも含まれる。選手交代を管理したり、雨天時に中止にするか、途中で中断するのか続行するのかというのもそれである。そういった判断の絡む部分は、何らかシステムとして機械的に判定できない部分もあり、一朝一夕には代替できないと思っている。つまりはもっと根本的な部分で当分は人間が審判を務める時代が続く。

ミスはつきものであるとしても、それが試合を左右しかねないからこそ、ミスしても良い理由にはならないし、ミスを弁明しなくても良い理由にはならないし、ミスを認めなくても良い理由にはならない。この件をきっかけにして、現代のプロ野球の審判に求められるものはなにか、審判がファンや選手らから尊厳を得るために必要なことは何か、様々な視点から議論が進んでほしいと思う。

*1:井口監督は「冷静にさばきましょう」みたいなことを言ってた気がしていて、当時のいきさつを知っているのかいないのか、は判断できない

*2:もちろん、佐々木朗希投手にも、千葉ロッテマリーンズにも限らない

*3:今回のことを調べていて、公認野球規則は書籍化されているものを買わなければオフィシャルの情報には辿り着けないということが分かった。だからファンサイトにはなるが、

yokouchibaseballclub.web.fc2.com

こういったサイトで調べている限りにおいて、という注釈がつく。1000円ぐらいで買えるので自分も入手してみようかなと思っている

*4:こんなところで書かずとも当然やっているのだと思うし、そうあってほしいのだが。

どうやらpovo2.0だとロ/ー/チ/ケ/ア/プ/リの認証ができないせいで問い合わせしないとイベントに参加できないらしい

 

明日参加するイベントが、○ーチケの電子チケットアプリを使って配信されるようで、私は今日のうちにやっとくかとロ○チケの電子チケットアプリをインストールして認証しようとしたんですよ。

そしたらこれ

 

f:id:umincyu11:20220417015210p:plain

 

何度やってもこの画面なので、色々調べてみたら、以下のことが分かった。

togetter.com

  • povo2.0では、SIMに対してROM書き*1をしていない。

  •  そのため、端末に挿しても、端末はSIMから電話番号を読み取ることができない。
  • 一方、ロー○ケアプリは、利用者認証にあたって端末に挿されたSIMから電話番号を読み取って、その番号にSMSを送るという方式を取っている。当然、povoのSIMは電話番号を読み取ることができない。
  • そのため、povoユーザはローチ○アプリの初期認証が永遠にできず、アプリが使用できない。

結構こういうケースはMVNOに多そう。

まあ、それはそれとして、今分かっていることは、私は明日の開演時間までに、どこか適当なキャリア*2でSMSを送れるSIMを開通させ、端末に挿し、ローチケ○プリの認証を済ませなければ、チケットを表示させることも、入場することもできないというわけだ。

いずれにせよこれ、結構問題だと思うし、上記の経緯が正しいのなら、povoに移行したユーザ全員が影響を受けることになるので、絶対他にも同じ問題を過去に踏んでいる人がいるはずだ。とすると今になって降って湧いた話でもないはずなので、ローチケのFAQに掲載するとか、何かしらのアプローチが取られていて然るべきだと思うのだが、案外そういう話は見つからなかった。あんまりメジャーな問題じゃないのかな*3

FAQには「チケット応募前に動作確認してくれ」と書いてあり、私はそれを怠ったということになるので、向こうからしたら悪いのは私です。格安のMVNOに安住して、バックアップになりうる回線を用意して置かなかったことも問題。まあそれはいいのだが、e+やぴあなど、他の電子チケットアプリはちゃんと動くわけで、何ならpovoに変える前、庭で使っていたときは、ちゃんとこのアプリは動いていたのだ。それが通信キャリアを変えたせいで認証すらできなくなるということを、誰が想定するだろう?そちらのアプリ独自の仕様で突っぱねられてもなあという気がするし、何より紙→電子の移行の流れの中で、そのシステム自体に阻まれるというのは、なんか本末転倒じゃないか?

とりあえず問い合わせしたけど、CSが混み合ってるなどと吐かしているので、どうせちんたら回答してくるだろうし、来週忘れた頃に回答が来そうで変な笑いがこみ上げてくる。もう泣き寝入りは覚悟しているが、まあ金輪際ここは使わないし、ここを使うイベントには行かないというのが正しい自己防衛のような気がする。悲しいけど。

 

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【2022/04/17 14:22追記】

問い合わせしたら朝回答があって、アプリの情報や電話番号の証憑をやり取りした上で、サポート側で代わりに認証してもらえたので、イベントには参加できそうだ。基本的には「問い合わせしてもらう」を同様のユーザに対する方針としているんだろう。言い換えれば「運用でカバー」ということになる。

まあそれを良いとするか、悪いとするかはあれど、ちゃんと対応してくれることは分かったので、そこは良かったなと思いつつ、さっき改めてチケットの明細を見たら、「電子チケットサービス利用料」の名目でチケット代に上乗せして徴収してるわけだから、やっぱりアプリを改修してくれと言う他ない。

*1:ROM書きの意味はちゃんとわからなかったけど、

www.itmedia.co.jpこういう記事があるので、おそらくSIMのプロビジョニングのことを言ってるのだと思う。カード自体には書かずにpovoのアプリ上で管理してる的な。

*2:ちゃんとSIMカードにデータを焼いてくれるキャリア

*3:まあアプリのレートがAppleAndroidも2以下だったので、お察しだが

言葉の鋭さ

game.watch.impress.co.jp

不適切発言ってそれこそもう何年も前からあって、そのたびに炎上→謝罪→ペナルティのループがなされて、見るたびまたかよとげんなりしつつ、これはもう今後半永久的になくならんのかもしれんと思ったりするのだが、今更ちゃんとこの機会に書いておこうとおもったのは、中身を見てみると気づくのが、「言っている事自体はそれほどおかしいことではない」ということだった。

↑の件もそう*1なのだが、この人の言いたいことは「(自分にとっての)理想の男性は身長が170cm以上ないといけない」ということで、出会い系の条件にも身長がある中で、それ自体が特別尖った意味を持つものではない。ただその言意が歪にラッピングされて、こういう発言になったのだと思っている。スポンサーらが「不適切」と断じているのは中身ではなくその包装なのだ。

SNSや様々な配信プラットフォームによって、「誰もが」言葉を「手軽に」「不特定多数」に伝える可能性を広げた。バズることがそのアカウントという人格で生きる上でのステータスとして捉える人もいる。大量の情報に素早くアクセスできる今の世の中にとって、世の中が重視するのは丁寧に紡がれる言葉よりも、短絡的に読む人の脳を捉えるような簡潔さ、鋭さになりつつある。

だとするなら、こういう不祥事を間接的に許し続けてきたのが、自分も含めた現代を生きる人々たちなのだろう。世間にウケが良いように言葉を包み、発信し、支持を得る快楽。端的でありながら過剰で、鋭さを持った言葉はバズり、あちこちから寄せられたインスタントな「いいね」が承認欲求を満たす。そしてもう一度その快楽を味わうために、あちこちでラッピングが繰り返される。麻薬のような永久機関は、やり方を間違えれば大いなる毒が宿るのだということを、両者とも、いつしか忘れてしまう。

 

自分が折に触れてたまに読み返す記事がある。この中の一文がとても興味深い。

www3.nhk.or.jp

この事件を起こした人間はけしからんと思うし、ひどいことだと思うけれども、だけどこの社会が作ったんですよ、間違いなく。この時代が作ったんですよ、間違いなく。この人を理解しなかったら我々は、我々が生きている時代と社会ってものを理解できないってことなんですよ。 

 

勿論このような不適切発言自体には正しい償いがあるべきだと思っている。しかし、その「正しさ」とは何なのだろうか。誰がいつどうやって決めたのだろうか。誰もわからないまま、ネット上の相互監視や「正しさ」「清らかさ」の強要は増していく。

今まで受け入れられてきた歪な言葉の中に思いがけず混じってしまった一匙の毒によって梯子を外され、釈明の機会もないままにトカゲの尻尾のように切られ、仄暗い中に閉じ込められる。そして私達は絶え間無くやってくる情報の濁流に押し流され、このことを顧みることすらしないまま過ぎていくだろう。だけど、それが時代が選んだやり方なのだ。

この時代を変えない限り、この手の不祥事はなくなることはなく、多くの人から数日と経たないうちに忘れられ、ネットの塵となって風化してどこかに堆積していく。あとに残るのは社会的地位を剥奪された発言手だけだ。こういったことが何も疑われることなく繰り返されていく。「またかよ」とげんなりする我々のような1小市民たちによって。

これを変えることは根本を覆すことであり、相当に難しいのではないか、と思っている。情報の選別や吟味にかける時間もなく、無意識的であれ意識的であれ、多くの人がSNSに色々な意味で依存し、大量の情報が消費されることが肯定されている時代において。

*1:だと個人的には思っている

マッチングアプリを試した

人生で初めてとあるマッチングアプリを入れた。もう長いこと彼女と呼称できるような存在もおらず、なんなら恋愛とは縁遠い生き方をしてきたような人間が、ここにきてマッチングアプリに登録したのは、結婚願望があるとか、人恋しいとか、周りが結婚し始めた焦りだとか、はたまた十の位があがっても孤独な自分自身に危機感をおぼえたとかそういうことではなく、恋愛というカテゴリにおいて己の市場価値がどの程度あるのか、ということをなんとなく知りたくなったというのがきっかけだった。端的に言えば興味本位という4文字に集約されてしまう。転職する気もないのに、己のキャリアが客観的視点でどれくらい評価されるのかを知りたくて転職サイトに登録しているのと同じである。

そうして入ったマッチングアプリの画面からはいろいろな女性の存在が飛び込んでくる。当たり前だが、私がこんなアプリを始めていなければ、知ることのなかった人たちだ。職業も住んでいる場所も価値観も趣味もまるで違う人達がたくさんいる。もちろんこういった人はただ候補として画面に出ているだけで、なにか関わりができたわけでも、繋がるということもないわけだけれど、でも確かにこの電脳空間の向こう側に存在する人が私と同じようにアプリを入れ、アカウントを作り、お気に入り(かもしれない)写真を登録し、いろんな項目や自己紹介を書き、アカウントとして成り立たせているのだということを考えると、機械的な中に人の手が介在していることへの名状し難い神秘のような何かを感じてしまって、少し面白かった。それと同時に、この人達は本気で将来の交際相手をこの電脳空間の中で探しているのだという当たり前の事実に気付かされ、私は興味本位で登録したことを恥じるに至った。

 

親や先祖には申し訳ないが、恐らく私はこのまま独身を貫き、一人において人生を終えることになるだろうと考えている。それは過去、まだ今よりも恋愛的市場価値が高かったかもしれない時に、その価値が「時間」という、時限的で揮発性の高いものによってもたらされていたことを何よりも理解し、一人の雄としてモテるために然るべき行いをして、徳や魅力や自己肯定感を積み重ねるという、現代日本に生まれ落ちた人間として当然なされるべき段階を踏むことを真っ向から突っぱねたつけが回ってきたからだ。トラック何周も遅れを取ったかどうかわからない中でスタートをきれるような、ある意味での強さはいつかのどこかで捨て去ってしまったし、現状を悲劇や不幸として片付けて適当に慰めるのではなく、単なる自業自得であるということを戒めることが自分にとって重要なのだ。半ば自傷行為のように。

勿論なにか奇跡のような出来事の連鎖によって、この状況を劇的に打開することがないわけではないかもしれないが、そんな土台無理な願望を運で解決できないかと願うというのは、買ってもいない宝くじの番号が当たることを祈るくらい無意味なだと思うし、そもそも真っ先に運に頼ることが頭を過るほどには怠惰だ。これについてはM-1グランプリモグライダーの芝さんが言っていた「頑張れねえ奴が神社行ったってしょうがないだろ」というツッコミをもって代弁としたい。

 

今年のM-1グランプリで錦鯉が優勝したのは、2人のネタが最も面白かったというのもそうだが、何よりも2人の中で芸人として、「錦鯉」というコンビとして輝ける道筋を見出し、もがき続けたからだと思っている。
そして最も重要なことは、その道筋がどこにあるのか、そもそも見えるのかどうかは誰にもわからないということだ。そういう中で情熱を絶やさず、己の芸を磨き、星の数ほどもあるだろう他のコンビと競い続ける。こうした並大抵でない努力を続けなければ人並みに食い扶持を得ることも許されない「芸人」という職業は、価値とか損得勘定に流されやすい私のような人間にこの上なく向いてない職業だと思ったし、そして、50という年齢で戴冠した長谷川雅紀さんを見て誰かが、あるいは本人が口にしたであろう「諦めなければ報われる」という言葉は、この上なく鋭く美しい刃となって私の心を貫くのだ。

いちねn

ほぼ1年放置した。何から書きましょうかね。

 

一人暮らしはじめた

一人暮らしといっても、たまたま親族に不動産所有者がいて、たまたま空き部屋があったので、そこを斡旋してもらったという感じで、初期費用とか家賃とかそれなりにまけてもらいました。巷で言うところの「ガチャ」の結果であるなあとホクホクしています。大感謝。

個人的にこだわりがあったのがネット環境で、ここは妥協してはならんと思いまして、NUR○を引きました。もちろん家主に許可は取りました。数ヶ月待たされましたが、結果として実家の10倍以上の回線速度を実現できたので良かったと思います。全く不満がないわけではないですが、概ね快適なネット生活が送れています。特に恩恵だと感じたのはPS5のソフトのDLが数分でできるようになったことですね。多分実家だったら丸一日寝かせてたと思うので。

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新居の通信速度(日中)

一方、一人暮らしでの責務が増えた部分については、今の所過剰な負担なくできているなという印象です。料理は無理だけど。特に排水口の掃除、これだけでも誰かに代行してもらいたいぐらい生理的に無理です。

 

コロナ禍

業界的にも弊社的にもコロナで降って湧いた需要を取り込めていると思っています。劇的に上昇したということはないでしょうが、目に見えてわかるぐらいには利用の純増を感じています。そういう意味で飲食や観光など特に影響を受けている他業種については気の毒と言わざるを得ないのが辛いところです。

政策については思うところはありますが、感染者数によって行きあたりばったりで制限をきつくしたり緩めたりしているように見えてしまってなんともなあと思ってしまい、例えば酒類提供をやめることで、20時でイートインをやめることで、それぞれどの程度効果があったのか、は検証して公表してもらえないと、自分たちがやっていることへの効果の程がわからず、納得感のある予防策を草の根で頑張ろうという気持ちにならないというのはよく分かります。
現在は感染者数や陽性率など各指標が落ち着いてきているようですが、要因が一意に掴みきれてないというのもありますので、緩めすぎずに生活していきたいですね。少なくとも個人の範囲でドラスティックにコロナ前に戻るのは当分先かなという考えがあります。

stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

私もワクチンを打ち終わりましたが比較的軽症で済みました。あとは治療薬の開発を待つばかりですね。そこまでいけばインフルみたいな流行性の病気という程度に落ち着くのかな?

 

佐藤詩織さんに会えた

わたし、まーーーじでチキンなので、欅坂時代に握手会なども全く参加しておりませんで、生で見たのは何回かのライブでだったのですが、今年の5月に突如twitterInstagramに舞い戻ってきて、まあそれだけでも嬉しかったのですが、
なんと彼女の作品を集めた個展を開催してくれて、見に行ったらとても良くてすげえなーと思ってたら、まさかの画廊にしーちゃんがいて、正直ビビり倒しました。キラッキラしとるしーちゃんが自分と数十センチのところにおり、時間の制約も剥がしもなくてこんなミーグリある?というぐらい贅沢な空間だったのに「楽しかったです、これからも応援してます」ぐらいしかいえなくて、じぶんのチキン具合が嫌になりつつ、しーちゃんとても綺麗で顔ちっさ!!!!って思いました。

 

すき。

 

スマブラにソラ出た

ニンダイや桜井さんの匂わせツイートからなかなかすごいキャラなんだろうと思ってたらソラでした。恥ずかしながらキンハーやったことないのですが、やったことなくても触りたいと思えるワクワク感があるキャラだなあと思えて、それだけでもすごいなあと。あとキンハーやってみたくなりました。

配信動画の桜井さんのテンションも、ソラの参戦がいかに悲願だったかというのを推し量ることができて、勝手にエモくなっていました。

自分が桜井さんを知ったのは多分小学生のときで、DXのスマブラ拳を運営されていた頃でした。ユーモアとか、(ストイックさとも取れる)ゲームに対する並々ならぬ造詣の深さが当時から今まで眩しく感じています。
DLCが追加される際に毎回桜井さん自らキャラクターの説明をしてくれるのですが、必ずそのファンが喜ぶことをきちんと散りばめて、かつスマブラの世界に落とし込むということを高い次元で両立しているなと感じていて(もちろんそれを実現するプログラマも含めて)凄いゲームだというのをひしひしと感じていました。そもそも参戦してほしいという要望が寄せられるだけの高次元の質を持ったゲームであることがすごいことだと思っていて、そうじゃなきゃファンはそもそも出てほしいと思わないから参戦要望しないし、Dも首を縦に振らなかったのではないでしょうか。

自分にとってスマブラは青春の一コマであると同時に、自分のゲームの世界を広げてくれたゲームでもあります。スマブラがなかったらメトロイドもMOTHERもファイアーエムブレムもゲームアンドウォッチもファミコンロボットも知る機会がないまま進んでいたかもしれません。本当に出会えて良かったと思うし、そういった想いを感じながら今後も遊んでいきたいと思います。

この身は誰がために

 

www.keyakizaka46.com

 

金曜日の夜中にその情報はやってきた。

眠気が一気に吹っ飛んだ。

 

いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、わかってはいたけれども、とても険しい。

険しいね。

 

ブログにも書いてあるとおり、しーちゃんは1月に1度、留学のためグループを離れるという決断をしていて、しかしこのご時勢であるため、3月ごろに戻ってきてまた活動してくれています。そういうことがあったので、状況が許せばまた留学のためにグループを離れてしまうのだろうなとは思っていましたが、そうか、このタイミングか・・・、しかも卒業か・・・と。

 

しーちゃんは自分が初めて好きになったアイドルでした。柔らかくて、しなやかで、繊細で、マイペースで、いつも笑顔で、グループに対する愛にあふれていて、絵が上手で、自分の目には一番輝いて見えた人でした。しーちゃんの一挙手一投足に癒やされて元気をもらっていました。

いわゆる「推しメン」というやつなのですが、人生で推しメンが卒業するのが初めての経験なもので、週末ずっとどうにか気持ちの整理をつけねばと悶々としていました。どう考えたところで事実が変わるわけじゃないのに。

 

活動休止の時にも書いたことですが、アイドルとしてではなく、一個人としてやりたいことがあるなら、それはファンとして尊重すべきだし応援すべきだと思っています。しかしこれからもある意味当たり前に続くと思っていたものが突然閉ざされたこと、櫻坂としてのしーちゃんを見ることができないこと、(しーちゃんは11月が誕生日なのですが)それを祝うことができないことが、なかなか割り切れない要因のひとつなのかなと思っています。

 

また、これは個人的な事情でもあるのですが、僕は自分のために頑張るという事ができなくて、常に自分の外にある何かや誰かのために頑張るという形で乗り切ってきました。それは時に野球チームであり、アーティストであり、漫画であり、アニメや声優であり、そしてしーちゃんのようなアイドルでした。それがある意味呆気なく終わってしまうということ、そういう不安定な道標の中で進もうとしていることにも、今回改めて気付かされました。

 

しーちゃんがどういう道を目指すかはわかりませんが、また彼女の名前、姿を見かけた時に、少しでも良い自分であれるように頑張らねばと思いました。本当にお疲れ様、そしてありがとうと言いたいので、募る思いはレターに書こうかなと思います。

医療とサブスク

映画や音楽、酒に車など、サブスクリプションで「借用する」、所有しない選択というのは徐々に浸透しつつある。服飾のサブスクというのもある。

その中で医療というジャンルとサブスクはまだ見たことがない。ただ全く水と油というわけでもないと思い、個人的にあったら嬉しいというものを書いてみる。

 

定額歯磨き

歯医者さんに定期検診で通っている人は割合としてどれくらいいるのだろう。自分は数年前から2〜3ヶ月に一度歯医者さんに定期検診で通って見てもらっている。そのたびに、「もういっそ歯磨き放題サービスが有ってもいいのでは?」と思ったりしている。

例えば1日1回15分、歯医者さんできっちり歯を磨いてくれて月1000円とか。歯医者なんてたいてい家の近くか職場の近くのところ、通いやすい病院に行くだろうし無理なサービスモデルではないような気がする。患者は毎日キレイな歯を保てる、隅々までクリーニングできるので虫歯になりにくくなる、歯医者側も虫歯や歯周病などの治療にかかるコストを軽減しつつ、定期検診より多く収入を得られるだろうしWin-Winだと思うんだけどなあ。

 

定額耳かき

耳掃除も面倒だ。綿棒でやっていると時々加減がわからなくて耳の中を知らずしらず傷つけていそうで怖いので、耳鼻科とかでちゃんとやってもらいたい。あまり掃除し過ぎも良くないだろうし週1回が目安だろうか。ついでに耳に異常がないかも見てほしいという気持ちがある。聴力は健康診断で毎年測っているので異常はないと思うが、最近ずっとテレワークでヘッドホンつけっぱなしなので変に痛めていないかが心配。値段的にはどれくらいがいいのだろう。500円ぐらいなら喜んで通うと思う。

 

定額爪切り

爪の切り方を間違えているというようなツイートを見たことがある。長すぎはもちろん良くないのだが、短すぎても雑菌が入ってきたりするとかどうとか。ならばプロのお医者様に切ってもらおう。爪切りもなかなか面倒な部類の1つだと思うのだが、自分の身体のことなのに正しい長さがわからなかったりする。ただ人に爪を切らせるというのが、小間使い扱いしている感があって抵抗はあるかもしれない。これも週1回ぐらいでいいかな。

 

おわり

自分がそうなのだが、異常がないのに病院に行くということはほぼないだろう。セルフメディケーションの時代だし、何かあったらまずドラッグストアで薬を買って、それでもだめなら医者に行くだろう。歯医者の定期検診も割合としては少ないのではないだろうか。その棲み分けで守られてきたものがあって、こういうサービスをきっかけに患者が増えて労務環境に支障が出るのだとしたらそれは私の望むところではないので考えなければいけない。ただ異常が「気づけない異常」だとしたら話は別である。正直、年齢を重ねるに従って年1回の健康診断で担保できる「健康」の範囲は限られているのではないかという疑念がどんどん膨らんでいる。そういった漏れそうな異常がないかどうか、定期的にメンテナンスして治療しましょうという意義もこのサブスク構想にはある。