猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

配信の味は蜜の味

SUMMER CHAMPION 2020 ~Minori Chihara 12th Summer Live~

見た。

minori-summerchampion.jp

 

正直に言うと、発表されてからの数カ月はみのりんの楽曲やライブからは避けるようにして生きていた(意図的なものか、本能的なものかは判然としないが)。だから本当に彼女のライブが、曲が久しぶりで、ああ私の体に10年以上刻まれた音楽はこれでしたという、自分の原点にタイムスリップしたような、そんなライブだった。個人的には「ステラステージ」を初めてステラシアターで見れてよかったなと思う。現地で見たかったけど。

演出も良かった。ステージの裏でのアコースティックコーナーや、客席にぬいぐるみと一緒に座って歌ったり。配信ならではの今まで見られなかったカメラワークもあった。ステラシアターの構造ゆえ、今までほぼステージワークを楽しむ(客席の通路に上がってきたりもするが)以外なかったのが、画面を通してみのりんやCMBの姿をより至近で見れるというのはとても良い。

 

いつもの河口湖ライブと大きく異なったのは、とある一件についてMCで説明と謝罪があったことだろう。今回のライブには本当はいつもみのりんと一緒にステージに立っている室屋光一郎大先生がおらず、見ていて強烈な違和感があったのは事実だが、まああの一件のせいだなと思っていたのでなんとなく背景を察することはできた。

以前も書いたが、またどこかで彼がみのりんと同じステージに立つと信じて疑っていなかった(なんならこのライブに出てくるものだと思っていたので)。それは今まで茅原実里というアーティストが紡いできた音楽のそばには必ずと言っていいほど彼がいたからだ。彼のストリングスがどれだけ茅原実里の音楽の世界を広げてきたのか、ファンが一番良く知っている。2人がやったことは相応に重いことだが、それをもってしてもアーティストとしての関係を安易に終わりにできるような実績ではないということも。それだけにこういう形でお別れになってしまうのはとても悲しいしとても残念だ。

 

みのりんは「どれだけファンのことを傷つけたか、関係者の方々に迷惑をかけたか」、「このステージに上ることもためらっていた」という趣旨のことを話していた。嫌味の1つや2つないと言ったら嘘になるし、この先アーティスト茅原実里がどう歩んでいくのかという不安がないと言ったらこれも嘘になる。けれど、そのあとにみのりんが選んだ楽曲と、ステージ上での姿で、ぼくはもう十分に彼女からのメッセージを受け取ったと思えたし、ぼくは1ファンとして彼女が進む道を見守るだけだ、というある種の決心もできた。彼と袂を分かつということがどれだけ重い決断なのかを知っているからこそ。

そも15年もこの業界でアーティスト活動を継続できるということ自体がそれだけで奇跡的なことだし、その奇跡を引き寄せているのが彼女の楽曲であり、パフォーマンスであり、ライブ当日に梅雨明けさせてしまう伝説的晴れ女パワーであり、何より彼女の人柄によるところだというのは、決して嘘ではないと思う。

 

配信ライブという新しい潮流について

新しい生活様式は今後数年以上、下手したら今後ずっと続くとも言われている中、ここ数ヶ月配信でライブを見る機会を度々得ている。断然生で見る派だったのでどうかなーと思っていたけれど、意外にいいものだという事がわかってきた。何よりも演出がアーティストによって様々で多様性があるのがいいところだと思う。ソリッドに演奏を見せるものも、客席まで使って大掛かりな演出をするものも、そのアーティストのスタンスやアイデア次第だし、今までと全く異なる演出が見れるのは単純に楽しい。他にも色々いいことがある。

  • 交通費やそれによる移動コスト(時間など)が一切かからない
  • 遠征にかかる諸々もかからない(遠征はしたくなったら旅行という形ですれば良いので)
  • ライブを見ながらご飯が食べられる
  • ライブを見ながら酒が飲める
  • ライブを見ながら内職ができる
  • チケット代が安いのでその分お気持ちをお布施や物販に回せる
  • チケットの売り切れを心配しなくていい
  • チケットを忘れる心配をしなくていい
  • アーティストが豆粒にしか見えないという不満がない

一方、今までの生感、一体感こそライブであろうという思いも、ないわけではない。特に音響やライブ会場での様々な演出、それらから生み出される没入感。多くの名前も知らない、ただ同じアーティストのファンという繋がりだけでたまたま同じライブに来た赤の他人と一緒にその空気を楽しむ共犯関係。これらがライブの醍醐味でこのカタルシスを味わいたくて今まで好きなアーティストのライブに足繁く通っていたのだ。コロナウイルスの不安なくそれが楽しめるようになるのがいつになるのか、僕には見当もつかないけれど。

今後この災禍が下火になっていくのかどうかは分からないけれど、たとえどれだけ沈静化して、(ありえないが)コロナウイルスが完全に収束したとしても、ライブは「配信」と「現場」の2通りに分離していくことになると思う。配信ライブは形を変えこそすれ、なくなることはないだろう。なぜなら儲かるからだ。

 

先月欅坂・日向坂が相次いで配信ライブを挙行したが、双方チケット売上枚数が9万枚に達している。*1そもそも9万人を収容するライブをやろうとしても現状可能な箱は存在せず、必然的に野外フェスレベルの会場を構築するしかないわけだが、これにチケット金額をかけ合わせると、単純計算だがチケットだけで売上は3億を超える。これはドームで単価9000円にしたら届くかどうかという額であり、実際のライブで実現するのは並大抵のことではない。配信をチケット入手難になりがちなアーティスト、例えば嵐が同じことをしたらどれだけ売れるのか想像もつかない。人気度、ファン層の大きさが大きければ大きいほど、アーティストサイドにとっても配信ライブには可能性がある。ビジネスとして成立するというファクターは波を加速させ大きくするのに十分なエンジンになりうる。

配信形態は、従来からあった映画館での「ライブ・ビューイング」にとどまらず、他の施設や飲食店含めた規模の異なる配信も含めてもっと細分化していくかもしれない。それぞれの楽しみたい環境やニーズに合わせてライブが迎合していく、そんな新しい形態を、僕は期待したいし、歓迎したいと思う。

彼岸にて

早くも2020年の半分が終わったが、その間は激動だったようで何も変わっていない。できることが減った分、新たにできることは増えず、玉葱の皮のように自分の身の回りのものたちが次々と剥ぎ取られ、ちっぽけで何ら意味を持たない芯と否が応でも向き合わざるを得なくなっているという点で、残酷な半年だったし、空虚な半年だった。自分が今までライブに行ったり、ベイスターズを応援したり、たまに技術系の本を読んだりして知った気になったりしていたのは、中身も価値もたいしてないような自分の本質を周りに知られないように糊塗するためにすぎないからである。

 

緊急事態宣言が解除されてからというもの、世間(ここで言う世間とはテレビの向こう側であり、SNSのタイムラインによって形成される世界である)は感染者数の増加にてんやわんやしているように見える。政府や自治体、歓楽街へ繰り出す人々に対するヘイトも散見される。九州や中部での豪雨による被害が陰鬱した論調に拍車をかける。どれだけ多くの「亡くなる必要がない」人々が亡くなったか、「失う必要のない」ものが失われたか、想像するのは難しくない。情報は即座に生々しい姿で、かつ鮮明に自分の眼前に飛び込んでくるからだ。祈ることもできないかわりに、不必要に自分を苛む機会は増えた。

だからSNSは見るのをやめた。当事者にとっては人生が(否応なく)変貌している渦中なのかもしれないが、然るべき手続き、然るべき治療によって回復することを願うだけで(もちろん些細だが募金はする)、それ以上自分になんの意味ももたらさないからだ。感染者が増えたとしても、どこかの川が氾濫したとしても、それらを気に病んだところで、なにか変わるわけでもない。もし自分が三日三晩絶食し、己を賭して祈りを捧げることで、新規感染者数が0になり、すべての患者が救われ、土地や家財が元通りになるというなら、喜んでやると思うが、実際はそうではないからだ。

ただでさえ自分の「なにもなさ」に辟易としている中で、あふれる情報は確実に自分を蝕んでいると実感があった。情報に自分が追い込まれているという感覚は生身の体を銃弾の飛び交う戦場に送り込むというそれに近い無謀さに近い。だからこそ、これ以上波の中に飛び込むのは危険だと判断したのかもしれない。

 

そうして辿り着いた情報の彼岸で、しかし考える頻度は増えた。自分にとっての自分とはなにか。自分が外に提供可能な価値とはなにか。自分が外から求められていることはなにか。やなせたかしも問うていた、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」ということも。

哲学的で難解で正解などないとわかりきったような問いだが、これは同時に社会からの最終警告でもあるような気がした。これから、そういう問いへの「答え」を携えることのできない人間に、未来を享受する価値があるのかどうか、と。

茅原実里さん不倫報道に対するヲタクのお気持ち

はじめに

ここに書かれていることは茅原実里さんのヲタクを10年以上続けてきた人間が書く、あくまでチラ裏程度の文章の羅列であり、誰かに同じ気持ちを強制したり、同意してほしかったり、そういう意図を含んだものではないことを明言しておく。
また、発表された当日に書いているということもあり、まだ自分の中できちんと咀嚼しきれてない部分もあるのは事実で、あとから見てみたらこうじゃねえよなというところも出てくる可能性は否定しない。要はこの記事の一意性を一切保証しない。

ぼくの見解

不貞行為そのものについて

ブログやFC会員向けに送信されたメールに綴られている内容が全てであり、弁護するつもりも個人的に鞭を振るうつもりも、はたまた某週刊誌に対する憎悪も一切ない。不倫に関しては当事者間の問題だと思っているので、お互いに事実でした、円満に解決できています、ということなら部外者として何も言うことはない。ただ、彼女がファンのことを何よりも考えてこれまで活動してきたことを知っているだけに尚更、個人の感情として「誠に遺憾である」というのはあるけど。それで終わり。

※この件とは関係がないが、彼女は以前にも文春砲を食らったりしていてこれが初ゴシップというわけでもないわけで、老婆心ながら脇の甘さというか、そのあたりは少し心配にならないわけでもない。

 

大先生について

実のところ、不倫報道が出るという話は昨日の時点で週刊誌の早刷りに載っていたことでネットで話題になっていたこともありなんとなく把握してはいた。今回の件で一番驚いたのは不倫相手が誰かということで、どうせまたどこぞの「一般男性」だろうと思っていたら、まさかそんな(彼女にとって)近くの人物だったとは思わなかった。というのが正直なところだ。

茅原実里ヲタクなら共通認識だと思うが、彼女の不倫相手として報じられたところの室屋光一郎という人は、茅原実里というアーティストの歩んできた歴史を振り返る上で最も重要な人物の一人だ。

 


[Official Video] Chihara Minori - Dream Wonder Formation - 茅原実里

 

Dream Wonder Formationという曲がある。茅原実里アーティスト活動10周年を祝して実施された日本武道館でのワンマンライブの1曲目として披露された曲だ。その中にこんな歌詞がある。

君は私の欠けた 最後のピース

 

今思い返せば「純白サンクチュアリィ」での大先生との出会いがアーティスト・茅原実里としての幅、彼女の楽曲の幅、ライブの演出の幅を広げることになったわけで、彼がまさしく彼女の行く先を決定づける「最後のピース」だったのは間違いない。このことが裏を返せば、今回の件をさっぱりと割り切ることができない原因になっている。これまでのどのアーティスト活動を振り返ってみても、大先生抜きにして語ることはできず、それがこのことを過らせるであろう、ということはまず間違いないし、何より今後のアーティスト活動を続けるに当たり、「事が明るみに出たので二度と共演しません」となるほど生易しい関係性ではないのはファンとして十分わかっているつもりだからだ。

繰り返しになるが、不貞行為そのものについてどうこう言うつもりはない。だがこれのせいで今後純粋に応援できない、というファンとしての複雑さ、悲しさについては考えなければならない。

 

※全くの邪推だが、不倫関係にあることは当事者しか知らなかったはずで、それを6年もライブに出ながら周りに黙って関係を持ち続け、終わった後もそれを隠したままファンの前に出ていた、というのはこれは全く邪気のない気持ちとして、よく貫き通せたなというところはある。自分が大先生だったら絶対どこかでゲロってしまうだろうな。

 

ファンやめるの?

個人的な考えとして、今回のようなことがあったとしても、過去のライブに参加したときの感情や思い出が死ぬことはない(濁ることはあるかもしれないが)し、茅原実里の楽曲に罪があるわけでもないと思うので、今後も楽曲は聞くだろう。引き合いに出して大変申し訳無いが、ピエール瀧が逮捕されたことによって電気グルーヴの楽曲が毀損されるわけではないことと同じだ。

もっと踏み込んだことを言うと、今回のような不貞行為はプライベートな人間性の部分の問題でありアーティスト・茅原実里に対するあれこれとはまた違うのかな、という考えだ。恋愛禁止のアイドルでもあるまいし、根っこの部分が暴かれたところで自分が応援する上では大きな意味を持たない。まあパブリック・イメージは良くないだろうが。だからライブにこれからも参加するだろうし、茅原実里室屋光一郎両名を嫌いになるとか、憎悪があるとかそういったこともなく、かといってますます好きになりましたということは毛頭ないが、そこまで大きく気持ちが変わったわけでもないかな、という感じ。強いて言うならバレたから関係は全部終わりです、二度と一緒にライブに出ませんしレコーディングもしませんではなくて、今後もアーティスト活動を共に続けていくことが何よりの禊だと思ってはいる。

 

なのでCDは割りません。残念でした。

 

最後に

個人的に一番残念だったのは、本人からの報告が週刊誌が出たあとだったことだ。今日の午前中にはメールが届いたので前々から抜かれることを知っていて用意してあったのだと思うが、だとするなら報道の前に、ブログなりメールなりSNSなり、せめてFC会員だけでも、前もって彼女の方から第一報を聞きたかったというのが率直な気持ち。

今は声優がアイドル化していたり、サブカルチャーとしての市民権をある程度確立している昨今において、声優のゴシップというのはそこまで珍しいものでもなくなっている。実際彼女のゴシップが出るのも初めてではないし。それでも、ファンクラブに入るほど能動的に応援している人のゴシップが出るというのはそれだけでイレギュラーなことで、非常にストレスフルだ。不倫したという内容以上に誇大化したネットのうねりの中で、大して知りもしない人たちの衆目に晒され、やりたい放題石を投げられている、かといって本当のことだから庇うこともできず、ただ黙って見ていることしかできない、正直に言ってこういう状況はつらい。それが彼女の言う「みんなを傷つけ、不愉快にさせてしまい、悲しませてしまい、失望させ」ることなのだろうなと思う。

 

言いたいことはだいたいこれで全部なので後はただ、自分の中で熱りが冷めるのを待つだけだ。こういうとき、否が応でも家の中に籠もっていないといけない状況というのはある意味で救いであり、ある意味で地獄でもある。

 

籠もる暮らしに潤いを

昨今の諸々があり、弊社も原則在宅勤務と相成った。ので、最近ずっと外に出ていない。と言っても月曜日に出たけど。業務で使うためのPCを会社に置きっぱなしだったので取りに行ったのだった。4月に会社に行ったのは障害対応に追われた1日とその日だけだ。今のところは。

多くのものが利便性とセキュリティの狭間に落ちていく中で、開発に必要なVPNのIP制限が緩和されたり、ソフトウェアのインストール許可要件が見直されたりと、当初思い描いていたテレワーク生活よりはやりやすさを感じている。硬直していた動きがなにか非常事態を契機に一気に事が進むという故事(のようなもの)をいろいろ見てきたが、ここまで分かりやすく身に感じたのは初めてだったかもしれない。人は自分の身に降り掛かってきて初めてその重要性を悟るのだろう。

椅子を買った

在宅勤務で困っていたのが、椅子の座り心地が悪いことで、なにせ小学生の時に学習机と一緒に買った椅子なので、背もたれがぶっ壊れていたり、座面が木なので硬かったりととにかく仕事などで長く座るには負担が強すぎた。ので、この際投資だと思って買った。

 

www.ergohuman.jp

 

本来ならショールームで座って検討すべきなのだろうが、ご時世では難しいので会社の椅子と同じやつを買った。正確には会社のやつと同じだったやつだけど。

大げさに言うが、(程よい傾き)の背もたれがある生活というのはこうもいいものかと思った。正しい姿勢で座るのも大事だが、姿勢に合わせられる椅子にするというのも同じくらい有効だと個人的には思う。マリーアントワネット的な思想。

 

作業用BGMが届いた

 仕事してるときは適当にSpotifyかけたりRadikoのタイムフリーで好きな番組を聴いたりしていたが、ここに来てスーパー太っ腹なプレイリストが届いた。何度も擦り切れる(擦り切れてはいない)ほど見たライブもあれば、買おう買おうと思っていて諸般の事情で手を出せずにいたものもあり、結局全部を貪るように聴いている。特に初期の作品はDVDになってなかったりしてこの機会で初めて見るものもあるので新鮮この上ない。パフォーマンスが気になってついつい映像を見てしまいがちなのが難点だが、やはりパフォーマンスがいつ見ても「優れている」というのはすごいことだと思う。そして1000本以上をこなしたライブ数に対して映像化の割合低いなあと思うのもまた事実。B'z In Your Townとか円盤で出してくれませんかねえ。無理?

 


【B’z】B'z SHOWCASE 2007 -19- at Zepp Tokyo

 

だからというわけではないが、個人的によく聞くのは唯一のshowcase作品になっている。円盤持ってるんだけど見てしまう。youtubeは便利だ。

スカイツリーと生活

ぎっくり腰を引き起こしてからすでに一月が経ったとしていることに戦慄する。整骨院で宣告を受けて以来、週に1度のペースで通いながら骨盤矯正に励んでいる。腰の痛みは良くなり、今はそれを引き起こす病根の部分を断ち切るフェーズに入っているというところ。
そしてその改善にはガチガチに硬い股関節をなんとかする必要があるということもわかってきたのだが、実は股関節が硬いのは小学生の頃からだったので、毎日の柔軟の宿題はいつもバツ(手がつく)だった、という20年前の伏線を幸か不幸か、ここで回収してしまった。いろいろ調べたところだと股関節の改善にはとにかく時間がかかるらしく長期戦の様相を呈している。オリンピックが終わる前にはなんらかの改善が見られると良いのだが。デブなのも痔核持ちなのもみんなみんな股関節のせいだったらいいのになー。

 

これは完全に雑談なのだが、医療費にクレジットカードやキャッシュレス決済が使えないという風潮があると思っていて、ここはほんとうになんとかしてほしい。例外として自由診療があるが、生まれてこのかた自由診療を受診したのは1回ぽっきりしかない。ひどいところでは店先に某クレジットカード会社のマークを出していながら実際には全く使えないというところもあり、それって詐欺の類かなにかでは?と思ってしまった。医療現場がキャッシュレスに不寛容というのはいかんともしがたいものだ。ウェルシアで調剤薬局を受け取る時にクレジットカードで支払いができると聞いて感動したぐらいだ(しかもTポイントも貯めることができる。大して貯まらないし意欲的に貯めてもいないが)。幸い通っている整骨院はpaypay払いを許してくれる。ロンチ当初はあれほど鼻でCMを笑っていたのに今では決済ルートとしての存在感がぐんぐんと上がっているのが悔しさもある。

 

 

閑話休題

 

 

そんな中ある休日にスカイツリーのたもとまで歩いた。入谷駅から徒歩2,30分で隅田川の向こうまで歩き、遡上してまた橋を渡り南千住に戻るというルート。入谷から東側の台東区の路地裏をgoogle mapで見てみると、大きめの道路と道路の間に網目状に張り巡らされた道がとても印象的だった。下町という趣がある。

 

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生活のなかにスカイツリーがある、というのはいかほどのものか、とふと考えた。曳舟も押上もスカイツリーができるまでは単なる街であっただろうに、日本一高い電波塔とそこに付随する観光資源ができたことで、風景が変わり、人の流れが変わっただろう。スカイツリーのそばを歩きながら、それらの変化は生活を、心持ちをどう変えただろうか、ということに思いを馳せずにはいられなかった。将来リニアができたとき、橋本の人たちにも同じことを考えるはずだ。

 

自分がどこか遠くに行くと必ず探してしまうのが小学校だ。軽井沢にも箱根にも、はたまた銀座にだって、日本のどこに行ってもにもかならずあるのが小学校で、そこで生活している人たちの存在を知らせてくれる建物の一つだと思っている。観光に行くのにその土地土地の生活を考えるとはどうなのだろうと思うこともあるけれど、観光の動力はそこにいる人々の生活なのだと気づいてからはまあ良いかなと思うようになった。

vue

ずっとバックエンドの言語ばかりやってきましたが、と言ってもここ数年はRubyばかりで、他の言語に関しては完全に錆びているのですが、いよいよフロントエンド、ことにJSをまあ独力である程度読めるようにならんといけないよなあと思って、Vue.jsの本を買って読みはじめたところです。

 

Vue.js入門 基礎から実践アプリケーション開発まで

Vue.js入門 基礎から実践アプリケーション開発まで

 

ちなみにVue.jsを選んだ理由はjsフレームワークの中で最も学習コストが低いという言を見たことと、弊社のサービスサイトのフロントエンドをVue.jsにリプレースする計画が持ち上がっているからです。自分はそのチームにいませんが。

jQueryを触ったことはあるので「対象のDOMに対してapiを実行して状態を変える」というのがどういうことか、はなんとなくわかります。そもそもDOMの理解が曖昧なんですけどね。idとかclassとかって感じで。

まだ第一章だけで、本格的に書き始めるところまで達してないです。様々なオフィシャル/アンオフィシャルなライブラリを組み合わせることであらゆる規模の開発にも対応できる→プログレッシブフレームワークであるところとか、DOMとjsを直接バインディングすることで、js側でパラメータが変わったのを検知して即反映できるようにとか、特徴周りを読んでいて、へーって感じです。

というかバックエンドだけでずっとやってきた人間がフロントエンドを理解するのにどういう道標を取るべきかがわからんというのはありまして。ドットインストールとかudemyとかやったほうがいいのかな。とりあえず自分なりにやってみます。夏には書けるようになりたい。

 

未来を

いやー、驚きました。

まあ、ファンである以上、いろいろ良からぬ情報も入ってくるわけで、その真偽はどうあれ、けやかけにも出なくなっていたりするところから考えると、いずれはお知らせが出るのかなあなんて呑気に構えていましたが、全部いっぺんにでるとは思いませんでした。本当に心臓に悪いし、今は受け入れることはできたけど全然実感はないです。

 

突然ですが、ぼくは欅の中で佐藤詩織さんが一番好きです。美大に通うだけの絵や造形美のセンス・技術があって、学力ももちろん兼ねている。書道も有段者で、怪我で断念したとはいえクラシックバレエの素養があって、さらに顔もいいし、もうたくさんいいものを持ってるんですよ彼女は。なのにバラエティやラジオなどで出てくる素の彼女には厭らしさが一つもない。良くも悪くも自分のペースからブレなくて、天然で、喋りが長くて、とても柔らかい空間を作れる人です。それでいてちゃんと芯を持っている。あと笑い声もいい。

好きだったからこそ、佐藤詩織さんが留学で活動休止、というニュースが出たときは本当に驚きました。どんどんと矢継ぎ早に出た中で一番驚いた発表であり、唯一なんの前触れや兆候も無く飛び込んできたそれは卒業でなくてよかったと思う一方で、これからしばらく彼女の姿を見る事ができないという寂しさがあります。

1ファンの心理として、活動休止という状態が続いているうちは、当然なんの情報も出てこないわけですから、「本当に戻ってくるのか?」という疑心暗鬼のところから抜け出せないままずっと続いていく気がしています。一方で、そういった意味付けをすべて併せ呑んだ上で活動休止という選択をしたわけですから、思う存分後悔のないようにやりたいことをやって戻ってきてほしい、と送り出し、復帰を信じ座して待つのがファンとしてあるべき姿なのでしょう。発表があって、ブログの記事を読んだ後はこの間でずっと揺れ動いています。正直不安は否めないですが、まあ気長に帰ってくるのを待ちたいと思います。

 

そしててち。彼女・オタク・運営の望むと望まざるとに関わらず、間違いなく今の欅坂を作ったのはてちがいたからだと断言できますし、この脱退はグループ史にとって一つの転換点になると思います。他の推しメンのオタクもきっとそう言うでしょう。

テレビやライブを見ればわかるように、彼女は一切手を抜かず、命を削って歌い踊ります。その代償が度重なる怪我で、冷静に考えればこのグループに対する熱狂は彼女へのしかかる重圧や負担に向き合うべきだったのだと思いますが、それも結果論でしかありません。

最年少でセンターとして立ち続けた8作が褪せるわけではないですし、今後どうしていくかはわかりませんが、まだ18歳、欅坂で歩んできた道が少しでもてちの未来に寄与することを願ってやみません。そしていつかはてちの望む形で、沈黙を破ってくれることを祈っています。

 

卒業するオダナナ、すずもんにも同じことが言えます。終わり方は残念でしたが、メンバーとしてパフォーマンスにバラエティに奮闘してくれていたことはよく知っています。多分、特に一期生は乃木坂にあこがれて入ってきた子たちがたくさんいるわけですから(この2人に限らず)、想像していた世界やグループ像とは全く違ったと思うんですよね。それでも必死に食らいついていた姿はオタクたちの脳裏に焼き付いていると思います。だからこその労い。

 

未来があるのは残されたグループも同じです。キャプテンのゆっかーを筆頭に、これからどういう色の欅坂46になっていくのか。本当に想像もつきません。いつだってそうでしたが、片時も目の離せない存在で、救いの見えなかった自分の人生に色をつけてくれた存在。推しメンはいませんが、どういう行き先になろうとも、これから始まる景色を一緒に見届けられればと思っています。