猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

遠くアニサマを望む

少しだけ在宅オタクの自分語りを許してほしい。

 

2008年に初めてアニメロサマーライブというライブに参加した。2008年というのはアニサマさいたまスーパーアリーナに移って初めての年で、自分のこの会場に足を踏み入れるのも初めてだった。この時点で今後様々なアーティストのライブで数えきれないほどお世話になるとは知る由もない。

まだキンブレという製品は世になく、自作するしかない時勢で、そのへんのしきたりをよく知らなかったぼくは青いサイリウムを一本だけ持って行った。8時間で消えるようなやつである。ライブなんて親と一緒に行ったB'z以外になく、今でこそ誰も彼も有名な方々だが、当時半分くらいは名前も聞いたことのないアーティストたち。その中に、同じくそこまでよく知らない友達と一緒に飛び込んでいく怖さとか、ワクワク感みたいなものは確かにあった。とにかく茅原実里さんが出演するところを見たかったという、その一点だけだった。

 

それ以来、毎年アニサマには参加するようにしていた。自分にとってアニサマは「祭り」だった。アラカルトのようにそれぞれのアーティストの一番いい部分*1を楽しみつつ、そこから新たな発見や出会いを通して自分の音楽シーンが広がっていくのはこういう大規模なフェスでしか味わうことができない醍醐味でもある。

アニサマのいいところは会場をフルに使って弛緩の間を作らないようにしているところだと思う。よくある前面のステージや中央のステージ、さらにアリーナの前後左右を動き回るトロッコステージもそうだ。これによりセット転換の余計な時間を掛けることなく演出ができている。もう10年もさいたまスーパーアリーナでやっているから演出サイドが性質を熟知しているというのはあるのかもしれない。

 

今年行かなくなったのはいくつかの理由がある。いい席を取るのに手間がかかること*2心理的限界が来ていたこともあるし、端的に言えば自分が好きな音楽の範囲とアニサマで演じられる音楽の範囲がずれてきたこともあるし、なにより楽しむための「予習」が億劫になっていたというのもあった。その年のアニメシーンの色を濃く出すアニサマを1から楽しむためにはその年のアニメシーン、アニソンシーンを知り、寄り添う必要がある。しかし、今のアニメを見る習慣が失われると今のアニソンに触れる時間が劇的に減るのだ。この時点で行っても楽しめないだろうし、やめようかということになった。

 

行かないと決めたイベントで起きたことに関しては何も言わない。たとえ放課後ティータイムアニサマにシークレットで出るということがあったとしても、である。2011年2月、凍えるような寒さだった朝6時のさいたまスーパーアリーナの物販待機列で飲んだエメマンの味は、墓場まで忘れないよう持ち続けていくつもりだ。

だからいくら今年のセトリがよかったとしても、来年行くかどうかの判断に影響させたくない。フラットな気持ちで来年あるであろう発表を見守ることにする。そもそも東京五輪もあるから同じ規模でできるのかどうかも怪しい感じがするけど。 

*1:と、スタッフ側が思っているだけかもしれないが

*2:ブルーレイを買わされたり、月額1,100円のサービスに入らされたりしてきた

誰かに乗せられるがまま

格安SIMなどいろいろな会社が喧しく自社の優位性を喧伝する今日びにおいて、auと契約してスマートフォンをぽちぽちしているような物好きの人であれば、ぼくは躊躇いなくauスマートパスに入るべき*1だと思っていて、それはなぜかというと、言うまでもなく毎週月曜日に映画が安く観られる制度があるからです。

 

www.4gamer.net

映画は1週間に1本は必ず観るようにしています。あらゆるエンタメの中でも最大級に金が掛かってるクセに,短時間で完結するので。物作りに携わる人間にとって,あんなに美味しい御馳走はありません。

 

映画は総料理長以下、莫大な材料に莫大な人的資源と莫大な予算を費やして作られたものを2時間で食べられるように凝縮した、極めて旧時代的な考え方(disってないよ)でできたコンテンツだと思います。作る側からしたら多分そこまで効率的ではないけど、儲かる。ものは考えようですが、↑のインタビューを読んでからこういう視点でみると、お得なエンタメだよなあと思うようになりました。

ぼくが思う映画のいいところは、(映画館で観る、という前提にはなりますが)「飛ばせないところ」と「拒絶できないところ」です。今はテレビも基本録画して見たいときに見るので、気に入らないところは早送りできる。本や音楽は消費をやめたっていい。しかし映画はそれはできません。本当に作風が合わないのなら無理やり席をたつこともできますが。

 

映画を観る「習慣」ができだしたのは間違いなくスマートパスで安く映画が見られるというのが背景にあります。何がきっかけで好きになるかわからないから、こういう「なんか良さそうだな」というのには飛びついてみてから決めよう、と考えることにしています。とりあえず乗せられるがまま乗っかってみようというスタンスですね。合わなくてもそれのせいにすればいいので。選択肢が多いほうが人生の色数は増えると思います。

どうでもいいですが知人はアイドルにハマってからそのアイドルが紹介するコスメを買うようになり、やがて美容男子としてお手入れや良い化粧品などいろいろ教えてくれます。蝶々のように、何かを媒介にして別のなにかに行き場を求める生き方は根無し草のようですが、思わぬめぐりあいがありそうな気がして、とても魅力的で、やめられないものなのです。

*1:スマートパスプレミアムだとなおいい

イヤホンジャックの受難

前の記事で書いたとおりXperia 1に機種変したことによってイヤホンジャックが端末から消えた。type-Cとイヤホンジャックの変換コネクタが同梱されているのでとりあえずなんとかすることはできるがとてもダサい。
ワイヤレスのヘッドホンは実は去年の暮に買っていて、同じくソニーのWH-1000XM3を持っている。

www.sony.jp

平気で2,3日持続するバッテリー、鬼のようなノイキャン性能など満足できる逸品であったが1点だけ看過できない点がある。密着度の高さゆえ蒸れが酷いのだ。とりわけ自分はデブなので多汗であり、不快指数は上がる一方である。とてもこれからの時期に使い続けるにはきつい。

というわけでワイヤレスイヤホンを買うことにした。なるべくバッテリーのもちがよくて、左右有線タイプのもの*1でいいものないかなーと探していたらTaoTronicsというメーカーで発売されたばかりのTT-BH072というモデルが安くて良さそうだったので買った。ちょうどよく2割引という特典もついていたので安く買うことができた。

 

やはりノイズキャンセリングに慣れていると遮音性に難はあるが、でも値段を考えたらまあいいかな。バッテリーも1日ぐらいなら余裕で持つし、何よりずっと首にぶら下げておけるので携帯性がとても高い。コード絡まりとかは有線イヤホンあるあるだと思うが、自分も毎日のように苦しんでいたのでその地獄から開放される快感指数の高さたるやという感じ。
充電がMicroUSBなのはご愛嬌。イヤーウイングはどのサイズも耳に合わなくてとりあえず外して使っている。

個人的にはもう少し細かく音量調節(端末のコントロールに依存している?)ができればいいなと思ったのと、たまに接続しているのに音が飛んでこないことがあり、再接続しなければいけないのがとても手間なのでそのへんがなんとかなればなあという気持ち。勿論だが、音ゲーは遅延がひどいので有線じゃないとできない。音質に関してはほとんど気にしないのであれだが、aptxHD対応なのでまあ値段相応以上ではあると思う。

 

今回ワイヤレスイヤホンをいろいろ探してみたのだが、メーカー名だけだと初めて聞くようなところだったり、信頼できるところなのかどうか等々、わからないところが多くて判断にとても迷った。ソニーやオーテクやBOSESENNHEISERだけでは測れない世界はいっぱいあるなと痛感した。まあこういう新しい景色が広がっていくのが楽しかったりするのだけれど。

*1:完全ワイヤレスだと1週間と経たずになくす自信があったので

この週末

携帯を乗り換えた

先週、メインで使っているスマホを地面に落としてしまった。コンクリの床にもろに画面側からいってしまったので見事にディスプレイが割れてしまった。割れた部分も画面は反応していたり欠けもなかったので、後々考えるとここで修理代が軽くなった部分はあったかもしれない。
幸いASUS唯一の正規店*1が1時間弱とそれなりの距離にあったので、すぐに修理予約、割れたその日のうちに店舗に赴き持ち込み修理を依頼した。
そのため購入時のレシートも保証書もないのでメーカー保証が効かない。ダメ元で某MVNO契約時の契約書面PDFを落として店員さんに見せたら保証が通った。優しさを感じる。

 

修理は当然即日とはならず、数日預けて修理してもらったものを返却、という流れになる。今回の場合は4日ほどかかるとのことで、まあ自業自得なので泣く泣く飲むしかない。(また修理の際には初期化して返却されるのも、まあ自業自得)。
しょうがないので引き出しのそこに眠っていた別のスマホを引っ張り出して使っていたのだが、ロースペなので数時間触っているだけで我慢の限界に達し、そのままMNPで乗り換えつつ新しい携帯を買った。MVNOから某3大キャリへ復帰ということになる。

 

www.sonymobile.co.jp

 

端末は少し悩んだがXperia 1にした。店頭で持って見た感じのフィット感が一番良かったこと、三眼カメラに興味があったこと、パープルの色味が予想以上に好みにヒットしたこと、ある程度のデメリット*2を甘受できると判断できたこと、対抗馬Androidが軒並みイマイチだったこと、などがある*3。当初pixel3やiPhoneも考えていたのだが、一部端末だけMNPで乗り換えると端末代の半額以上割り引いてくれるという太っ腹施策をやっていたことが決定打になった。これがpixelなどにはなかった。

すぐにMNP番号を払い出してもらい、解約。そのままカウンターで申し込みをする。土曜日にお店に行ったのでだいぶ時間がかかったが、対応してくれた女性店員さんがめちゃくちゃ可愛いお顔をしていらっしゃって、自分的にはチャラになった。現金。

 

というわけでXperia1 を使ってみて思ったことを書いていく。

 

  • 横の指紋認証はXZのときより精度向上は著しい(当たり前か)。今回けっこうガチガチのケースを使用しているため*4少し押し当てる意識は必要だがすんなり通る。このへんはケース次第。ただHuaweiなど他の端末の背面センサー方式と比べると立ち上がるまでの速さは改善の余地あり。
  • イヤホンジャックがないのは有線を愛用していると結構辛いかもしれない。type-Cとジャックを変換するコネクタはあるが、それがあると当然充電できないし、なによりダサい。これを機に無線イヤホンを開拓してみる、というのはありかも。
  • カメラが立ち上がるまでが意外に時間かかる。21:9のフルサイズで写真取れるのかなと思っていたら、16:9がサイズの上限になっていてめっっっっっっっっちゃ残念。4K録画はこれからやってみる。
  • 21:9サイズの画面に対応していないアプリはそんなにないけど、引き当てると悲しいと思う。画像が明らかに縦に伸びていたり、切れていたり。
  • サイドセンスは誤動作の原因になるので切っている。マルチ画面にしたいなと思うときはそんなにない。
  • 高速充電に多分対応していないと思うんだけど、過去使ってた端末は対応していたので知らず知らずそれに慣れていたようで、すごく遅く感じる。あとバッテリー容量は少なめなので、減ってる感は強い。
  • おサイフケータイの使いみちを探していきたい。
  • パープルの光沢、よい。

まあプラスマイナス5分5分というところで、まあこれから使い込んでいきたいですねというところ。今週修理から受け取ったらそっちと併用していくんだと思う。

 

映画を見た

今TOHOシネマズはシネマイレージ会員を対象に1,200円で映画が観れるようになっている。だからというわけではないけれど気になる映画があったので観てきた。

gaga.ne.jp

 

原作のブログ自体は全部ではないけど読んでいて、存在は知っていたのでへーという感じだった。FF14やったことなくてもオンラインゲーム特有のあるある感が面白いし、何よりエオルゼアで映画のシーンを撮影するという手法の斬新さ。キャラクターの表情の機微もちゃんとスクリーンから読み取れるのでドラマとしてちゃんと成立している。
映画オリジナルの脚色はいろいろあるのかもしれないがちゃんと「光のお父さん作戦」が軸になっているのでストーリー的にも大きくずれることはなくてわかりやすいシナリオになっている。個人的には主人公に恋慕する女性社員の部屋のテレビが海信だったところが、全く狙ってるわけではないだろうがとてもおもしろかった。(ちゃんと小道具としてクレジットに出てくる)。

 

ランティス祭りについて

こういうわけなので幕張方面へ出向くことはなかった。レーベル総出でお祝いするのはいいのだが、フェスとしての意義はオーディエンス(→オタク)が知らないアーティストやジャンルにふれる機会を創出することにある(と思っている)ので、ア○サマにあるような一曲だけ歌ってはいさよなら、という事象がこちらでも観測されたとのことで悲しい。知ってる曲で高まりたいという欲望だけでなく、どういった作品でもってレーベルを支えたのかという歴史的・芸術的な価値、そしてアーティストとしての価値、それらを満たす両方を毀損しているようなきがしてならない。知名度や人気によってメリハリをつけるのはフェスとして大事なのかもしれないけれど。
ランティスの場合、キャラ物から声優、メタルからゴシックまで結構な守備範囲の広さなのが持ち味のひとつだと思うなのでそれを活かしたフェスにしてほしかった。というよりロキノンみたいにステージぼこぼこ作って一組あたりの持ち時間伸ばしてやってもよかったような。まあ在宅の意見なんで無視してください。

あと、ハルヒにありがたがる自分ぐらいの世代がそろそろ古参の領域に足突っ込んでるなあとしみじみ。サンシャインから入ってきたオタクとか知ってたのかな。コンテンツのマスが莫大に増え、クラスタの細分化が進んでいく中で、オタクにとって共通のコンテクストというのはどんどんこの先減っていくんだろうか。

*1:

jp.store.asus.com

*2:イヤホンジャックがない、顔認証非対応とか

*3:Galaxyは信用しない宗教に入っている。

*4:

www.elecom.co.jp

非モテの十字架

※本記事には「愛がなんだ」の本編に触れる内容がそれなりにあります。

 

 

いまさら、「愛がなんだ」という映画を見た。多分、深川麻衣さんが出演していなかったら一欠片も交わることがなかった作品だと思うので、めぐり合わせが本当に幸運だった。

 

aigananda.com

 

 

映画を見ている間、自分に巡っていたのはずっと共感と悲観だった。パーティーで待ち受ける孤立、誰とも知らない知り合いの集まりについていく一欠片の良心、いざというときに使い物にならない分身、全く根拠のない仄めかしや流言、剥離と塗布を繰り返すそれぞれの本心、好きすぎる人への独りよがりな罪悪感。
キャストのルックスと演技力で薄まっていたのかもしれないが、スクリーンの向こうに広がっていたのはまさに非モテの恋愛であり、もしなにかの掛け違いがあったら、まさに自分が経験していたかもしれない恋愛*1だったし、そう思わせるような魅力があの映画にはあった。ずっと腸を抉られているようなキリキリする感覚が続くような展開、でもどこかでそうなることを分かっているのに目を離せないというのはこの作品のそういうところから来ているのだと思う。おかげで観終わったあとはずっと吐きそうだった。

 

 

自分は今作のような誰かを好きで好きでたまらない、真っ直ぐな感情を持った恋愛を心の底から恐れている。それは自分が「なにかに全振りすることが不可能」だからだ。たとえ誰かと恋愛関係にあったとしても、たとえ恋愛以外の何かを楽しんでいるときであっても、それが壊れたとき、終わったときのことが(常にというわけではないが)頭の片隅にずっとあるのだ。そのときに「保険」をかけておかないと自分が自分を救えなくなるから、「楽しい」と思えるもの、お互いに「疎」なものを探して安住しようとするのだ。
劇中の彼ら彼女らにも、今の関係性と自分の感情で鬩ぎ合うところがある*2。親しい友人を信じることは簡単だが、恋する相手に仮託することは似ていることなのにずっと難しい。なぜなら相手が同じ気持ちにあるのかどうかの確率はそれよりずっと低いものだからだ。

 

おそらく非モテは恋愛において、そういうジレンマをずっと背負って生きていく生き物なのではないかと思う。恋愛する以上は相手に正対して向き合いたい、でも万が一の振られたとき、別れるとき、脈がないと分かってしまったときのあのときの痛みがするりと頭を過るとき、あのときと同じ苦しみに苛まれないように、なんとか別の埋め合わせを、うまく行かなかったときの別の避難口や安住地を見つけてやり過ごそうとする(ちなみにそのジレンマを脱却するときは非モテ→モテへの昇華を意味する)。

 

おそらく映画の主題とはだいぶそれるのだが、あの作品を見た帰り道はそんな事を考えていた。同じ十字架を背負いながら死ぬまで生きていく人間の一人として。

*1:あるいは、人によってはまさに過去を投影していたような恋愛

*2:例えば映画の終盤では、ヒロインの山崎テルコが、岡田守のそばにいたいがために自分の本心を覆い隠すような場面ががある

無味ファッション・2019春夏

ファッションに興味がない。おしゃれに致命的に興味がない。髪の毛になんかつけるのめんどくさいし(寝癖がなんとかなればいいぐらいにしか思っていない)。今から本腰入れてなんやかんやするということはないが、俯瞰的に今の自分のファッション意識についてどういう状況なのかを知るのは悪いことではない。と思う。

 

肌着(上)

Tシャツはたいてい行ったライブやイベントなどのTシャツを着ている。職場へも着ていく。というのも家の外でTシャツ一枚でどこかに行くことが未来永劫ないので、あまりにもごてごてだったりデザイン的にどうしてもだったり素材がなじまないだったりということでなければ、とくにこだわりなく着てしまうと思う。一方でなにかにつけて買いまくってきたものがここにきてタンスに入り切らないぐらい溜まってきているので減らすということをもくろんでいる。というかそもそも1着3000円というをためらいなく浮かれたように出すという思考回路も見直さないとなとは思っている。サイズ的にちょうどいいのはどちらかというとLなのだが、嗜好としてシャツについてはゆったり着れるサイズのほうが好ましいのでXLを重用しているところ。

 

肌着(下)

だいたいアマゾンで並んでいるグンなんちゃらとかそういうのを履いている。最近とあるテレビ番組で下着専門店がでていて、「ゴムのない下着」「履いている感のない下着」というのが特集されていたのを見て非常に気になっている。ただそういった店にひとりで行くのはそれなりの勇気もいる。

 

シャツ

襟付きで青っぽいのを好んで7~8枚ぐらい持っている。たいていユニクロか、zozotownでめぼしいのを選ぶ傾向にある。値段としてそれほどいいのは買ってないので、だんだん洗濯しても汚れが落ちなくなったり、変な匂いがついたりなどがあり、そうなってきたら買い替えかなという感じでずっとやっている。こういう、「ファストファッションから脱したい人が次に見ると良いブランド」が何なのかというのを知りたい人は多いんじゃないだろうか。ファッション誌読めよという話でもあるが。個人的にオーダーメイドシャツが良さそうな気がしている。

 

パンツ

 ユニクロのウルトラストレッチジーンズがあればいいと思っている。*1適度にフィット感があり、伸縮性もあるので体型変化をあまり考慮しなくていいというのが個人的に嬉しい。地味にカラバリがあるので、色が偏らないよう適当に見繕って4,5本ぐらい持っている。

 

パーカー

UNITED ARROWSで数年前買ったパーカーを今なお使い潰している。今の時期ぐらいの通勤時(6時ぐらい)はシャツだけだと肌寒いので重宝する(おそらく10月ぐらいになったらまたお世話になる時期が来ると思う)。あと執務室や電車内で通常より空調にキレがある場合などもお世話になる。お腹弱いので。自分がパーカーに求めるのは前がファスナーになっているかどうか。脱ぎ着のハードルがぐっと変わるので重視している。ポケットが付いているとなおよい。サイズ的には問題ないのだが、そろそろ替えがほしいと思っている。

 

身だしなみ

社会人になって以降、特にエンジニアなどの社外と交わりもなく衛生的なにかを問われないような職であれば、身だしなみについてとにかく言われることはほとんどない。髪の毛がどうだろうが服が汚れていようが髭が伸び放題であろうが。とはいえ身だしなみをそれなりの熱量で希求していかないといつまでもだらしがない人間というラベリングをされてしまう。個人的にユニクロに過依存している傾向があるところは認めなければならないが、とはいえそれはユニクロをやめるべきということでもユニクロを敵視していくということでもなく、「ちゃんとした社会人」として見せるために切り分けていくことが必要なのであって、それをユニクロが阻害しているのなら改善しなければならないし、貢献しているなら変える必要はないと思っている。ファッションをがんばるということはおしゃれになるということではなく身だしなみの改善をするということであり、それは会社で働く上では特に重視すべき一つである、ということで、それなりに見直していきましょう。うむ。

アニが先かソンが先か

アニメソングというのは、ある程度前までは確実にアニメありきのものだった。「マジンガーZ」がなかったら「ゼエエエエエエット!!!」は生まれないし、「めざせポケモンマスター」という楽曲がタイトルそのままに「ポケットモンスター」というアニメに従属していることは誰も疑わない。しかしこれが一部の文脈において、この関係性は崩れつつある。というか、崩壊している。要はアニを切り離しても、ソンだけで成立する楽曲がある、もしくはアニソンにアニメを求めないリスナーが確実に存在する。

 

前者の例で有名なのは、WANDSGARNET CROW・B'z・ZARD等々で固めたコナンのビーイング枠だろうか。これらの楽曲は(あくまで表面的に捉えたら、の話)アニメに従属させることを目的として作られた歌*1ではなく、アニメを見ている人はアニソンとして、歌だけ知っている人はポップス(あるいはロックナンバー)の一部として、要はアーティストの一楽曲として受容している。

要はアニメのために作られた曲なのかそうでないのかというところである。例えば銀魂で有名なDOESの曇天は、タイアップを前提に作られた曲ではなく、アニメ側からのオファーで採用されたことをアーティストが示唆している。*2 もっとも、アニメ側も全く相性やもろもろを一切考慮せずタイアップするということはないはずだが。

  

後者はアニメ以外の属性に楽曲の特異性を求める動きである。具体的には声優ファンの存在を考証するといい。好きな声優アーティストがリリースした楽曲をきっかけにタイアップされたアニメを見始めるということもあるだろうとは思う。なぜなら自分がそうだから。だが、単純に「その声優*3が好きだから」という理由で、楽曲それのみを享受するファンが存在することもまた事実である。なぜなら自分がそうだから。

この傾向は声優だけではない。アニソンアーティスト、作詞者、作曲者、果ては後ろで関わるスタッフ、果てはレーベルなど。何に軸足を置いて楽曲を聴くか、人によってそれは大きく色を異にするし、それによって見える景色はだいぶ変わってくるだろうと思う。

 

長々書いたが、何が言いたいかというと、こういうアニとソンの乖離を、アニソンフェスはどう受け止めて進むべきなんだろう、*4と思ったという話。ぼくはよくアニソンフェスに行くのだが、リスナーによってアニソンとの接点やリスニングスタイルが多様化している今、単にアニソンフェスを標榜するのは、無意味とは言わないけど、前ほど意義あることじゃないんじゃないかなあと思う。そういったライブでは、アニメを見て、アニソンに触れ、ライブでそのリンクを楽しむという、楽曲の背後にある文脈を同じく共有していることが前提になっているような演出がよくあったりするのだが、人によっては押し付けのように感じることもあるかもしれない*5。今、これからのアニソンフェスに求められているのは、単にたのしいライブじゃなくて、そのなかでどういう色を前に出すかということなのではないか、という気がする。

 

*1:特にコナン以降、犬夜叉ブラック・ジャックなど、読売テレビ系列のアニメはこういう楽曲を起用する傾向が強い印象がある

*2:

www.barks.jp

*3:厳密にはアーティストという肩書になるが

*4:特定のフェスをディスったりする意図ではない

*5:もちろん、これを全面に出すというのもアニソンライブとしての個性だから、否定するつもりはない