猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

わたしと箱根

中学生ぐらいまではよく旅行で箱根に行っていた。父の会社の系列の保養所があって安かったからだ。
ある時からぱったりと行かなくなった理由を親に聞いたら「子供たちが楽しくなさそうにしていた」からという、なんとも身勝手なような理由だったけど、今思い返せば、記憶のはっきりしない頃も含めて優に10回以上は箱根の地を踏んでいるはずなのに特筆すべき思い出が一度もない。毎回のように決まりきったルートで黒たまごや海賊船やテニスとくれば特別感も薄れるか、なんて思いつつ我ながらなんて親不孝な人間だろうと思う。
そもそも箱根はそれほど子供に優しくない。特に行きたい場所があったわけでもないが、小中学生が温泉や彫刻やベゴニアやフランス式庭園ベネチアンガラスや神社になんの楽しみを見い出せば良いのか。自分たちの楽しみと子どもたちの享楽を天秤にかけた苦肉の策だったのかもしれないが、当時の自分たちは知る由もなかった。

 

それでも箱根が好きだったのはロマンスカーによるところが大きいのではないかと思う。展望席という存在は自分にとって特別で、無機質で有機的な東京のコンクリートジャングルや高架を抜け出して眼前に広がる線路と山と空と川、すれ違う無数の電車たちはまさに非日常そのもので、ロマンスカーはそこに連れ出してくれる言うなればカボチャの馬車だった。
それを(流石に毎回ではないが)死に物狂いで取ってくれた両親の情熱には感謝しかない。心からの思いは言わずとも伝わるのだ、という迷信を自分が頑なに信じ切っている理由はそこにある。

 

あの頃の思い出の詰まった11時新宿駅発のスーパーはこね17号箱根湯本行は今はもうない。そもそも新宿を出てしばらく、前のステンレスたちにつかえながらノロノロと走る姿はロマンスもへったくれもないし乗りたいとも思わせてくれない。しかし、歳を重ねるたびに彼の地を憧憬してやまないのは、自分が今の半分くらいの年の頃に見つけられなかった純白に輝く城が、今なおあそこにあると信じているからではないかと思う。