昨日、ふとテレビをつけていたら、吸い込まれるように見入ってしまった番組がありました。
正直に言って、このお二人のことは存じ上げていませんでしたが、やはりお互いに捧げてきたものが大きいということなのでしょう、なるほどなと思わされる話がどんどんと飛び出してきて、目からうろこの対談でした。ひとりでへーとかほーとか言ってたと思います。録画しておけばよかった。
その中でも、非常に印象に残った部分がありまして、
『ゴリラやチンパンジーと違って、人類は「待つ」「再度試みる」ということができる。諦めないというのは、人類の特性である』
『現代の人類は「待つ」ということができなくなっている。1年、或いはそれ未満で他人を評価するように、全体的に何処か性急になって、人間らしさを失いつつある』
と。
そして今日、こんなエントリを見つけて、読んでいて、
んん?と。
言いたいことはわかるのだが、なにか違和感を感じる・・・
と思っていたら。
昨日のあの番組の内容をふと思い出して、その正体がわかりました。
「待てない」人類になっていたのは、他ならぬ自分だったということに。
自分が、自分の成長を、「待てない」のです。
例えば、絵がうまくなりたいと思っていたとして、数年単位の努力をイメージすることは、とてもじゃないけど、できません。効率的、即席の効果が期待できる道はないかと、そっちの方面で模索してしまうでしょう。
この記事が間違っているだとか、反論したいとかそういうことを言いたいんじゃなくて、今から数年かけて、何かを毎日毎日努力して、上達する・成し遂げるということ、それを自分の中でイメージすることが、自分にとってはとても途方も無いことのように思えるのは、もう、そういう思考回路で生きてしまっているんだな、と思わされた、ということでした。もうほんとに、痛感しました。