猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

思考の壁とか限界の話

昨日、ふとテレビをつけていたら、吸い込まれるように見入ってしまった番組がありました。

 

www4.nhk.or.jp

 

正直に言って、このお二人のことは存じ上げていませんでしたが、やはりお互いに捧げてきたものが大きいということなのでしょう、なるほどなと思わされる話がどんどんと飛び出してきて、目からうろこの対談でした。ひとりでへーとかほーとか言ってたと思います。録画しておけばよかった。

 

その中でも、非常に印象に残った部分がありまして、

『ゴリラやチンパンジーと違って、人類は「待つ」「再度試みる」ということができる。諦めないというのは、人類の特性である』

『現代の人類は「待つ」ということができなくなっている。1年、或いはそれ未満で他人を評価するように、全体的に何処か性急になって、人間らしさを失いつつある』

と。

 

そして今日、こんなエントリを見つけて、読んでいて、

hakurei-ka.hatenablog.com

んん?と。

言いたいことはわかるのだが、なにか違和感を感じる・・・

と思っていたら。

昨日のあの番組の内容をふと思い出して、その正体がわかりました。

 

「待てない」人類になっていたのは、他ならぬ自分だったということに。

 

自分が、自分の成長を、「待てない」のです。

例えば、絵がうまくなりたいと思っていたとして、数年単位の努力をイメージすることは、とてもじゃないけど、できません。効率的、即席の効果が期待できる道はないかと、そっちの方面で模索してしまうでしょう。

この記事が間違っているだとか、反論したいとかそういうことを言いたいんじゃなくて、今から数年かけて、何かを毎日毎日努力して、上達する・成し遂げるということ、それを自分の中でイメージすることが、自分にとってはとても途方も無いことのように思えるのは、もう、そういう思考回路で生きてしまっているんだな、と思わされた、ということでした。もうほんとに、痛感しました。