猫も杓子も記事を書く

140文字ではかけないことをかこうと思います。

現代日本でキャンペーンの応募にハガキを使う意味

特茶ってありますよね。CMとかでも有名な、体脂肪を減らしてくれるお茶。

自分も酷いレベルではないのですが、今のうちにできる手は打っておかなければという思いと、単純に苦味がちょうどよく味が好きなので、ほとんど毎日買っています。

 そんな特茶を製造販売するサントリーが、こんなキャンペーンをはじめました。先月末からですね。

www.suntory.co.jp

 

最初に見た時は、なかなか、自分が習慣的に買っている物品を対象にキャンペーンが行われることってないので、これはよいタイミング!と思いました。内容次第ですが、(とりあえず応募してみようかな)と思って、応募要項を読んでみました。

 

対象商品ラベル側面、及び一部の商品についているシールの下層に印刷された「特茶ポイント」を切り取り、(中略)専用応募封書または市販の封書・郵便ハガキ(所定の郵便料金分の切手をお貼りください)にテープなどでしっかりと貼り、(中略)ご応募ください。 

・・・・・・

目を疑いました。何度か読み返しもしました。

時は既に2017年も半分が終わろうとしています。キャンペーン応募なんて、シリアルナンバーを専用サイトで読ませて応募させるのが普通なのに、今時ハガキにシールを貼って応募させるなんて、ミッフィー皿かヤマザキ春のパンまつりぐらいのものではないでしょうか。
それを中小の飲料メーカーがやるなら「まあ、専用サイト構築したり運営したりいろいろ面倒だし、予算降りなかったのかな・・・」ぐらいに思うかもしれませんが、これをやっているのは天下のサントリーですよ。

 

prw.kyodonews.jp

 

それも、上記にもあるとおり10億本以上売れるくらいのヒット商品じゃないですか。もうちょっと本腰入れてやってもいいと思うんですけどね。
それとも「俺様の商品のお陰で楽して痩せられるんだからこのぐらい自分でやらんかい」という暗黙のメッセージなのか、はたまた主要購買層がネットもまともに使いこなせないようなシニア層や主婦層なのか、日本郵政から多大なる圧力があったのか、さてどれでしょうかね。こういう○みたいなキャンペーンやDMのお陰で郵便事業は成立してるんだなと思うと悲しい気持ちになります。

 

さらに、応募方法の中にはこうもあります。応募はがきに貼り付けるシールについての記載ですね。

「特茶ポイント」は、必ずポイント数が全て見えるようにお貼りください。
ポイント数が確認できない場合は無効とさせていただきます。

これをハガキに貼り付けていくわけですが、そのポイントの台紙とシールのデザインを抜粋したものが以下になります。

 

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このポイント台紙は左から右に向かって順番に貼らせるように作られてるわけですけど、企画段階でこの要領で貼っていくと、右下に書かれてるポイントが右隣のシールによって隠れてしまうのでは?と思わなかったのでしょうか。それとも敢えて意地悪でこうしているのでしょうか。

応募要項にも書いてありますが、このシールはペットボトルのラベルや、ボトルに貼り付けられたシールに印字されているものを「キャンペーンの応募者の手で」切り取らせて貼り付けるものです。みんながみんな精緻に切り取って貼り付けができるわけではないということが頭から抜け落ちているとしか思えないんですよね。

自分もそれほど器用ではないので、歪な形になってしまったシールを逆側から貼るようにしました。*1そうすれば常にポイント記載部分が上に来るようになるのでいまのところはいい感じです。ほとんど毎日買ってるのでおそらく締め切りまでに台紙は全て埋まるでしょう。
問題はWebから印刷したハガキを切り取って封筒にするイメージが湧かないんですよね。実際に印刷してもうまく作れない。誰か教えてください。

 

*1:上記の台紙を例にすると、12ポイントの位置から左に向かって貼る感じです

某ライブイベントのガイドラインに見る、1/30000の外れた良識

anisama.tv

www.itmedia.co.jp

 

こんなくだらないことがYahoo!のトピックになってしまった。

まあ言いたいことは分かるんですけどね、ヲタ芸やめろとか家虎やめろ咲クラやめろとか、とにかくライブと関係ないことすんなやと、そういうニュアンスで書かれた注意書きであることぐらいはね。とにかく言葉の選び方がまずかった*1がために、あたかも「コール全般」が禁止と取られかねないような曖昧なガイドラインになってしまったことが要因のような気がします。

 騒ぎ出したオタクに対してばっさり言い放つこの人が運営会社の社長という事実なんですよね。運営とオタクにはマリアナ海溝のごとく隔たりがありますよ。

こんな注意書きを書くようなスタンスなのだから、この期に及んで中途半端に謝罪されても面白くないし、出来る限りプロレスを繰り広げてほしいと思いますけども、さてどうなりますかね。

オタク同士の間に生まれる溝

ステージ上のアーティストに対して、真摯に応援したい、というファンからすれば変なコールは迷惑千万ですし、それすらも意味不明なものです。このようにガイドラインに組み込まれたことで少しは不快な思いをせずに済むと思っている人も多くいらっしゃるでしょう。
一方、「オタクは自分が盛り上がりたくてライブに行ってるのか?」という趣旨のツイートを見かけましたが、多分ほぼ正解です。勿論、演奏や歌、パフォーマンスを見せるタイプのアーティストもいますが、アイドル的な売り出し方をされているものについてはアーティストのパフォーマンスを見ながら盛り上がりたいというものがほとんどだと思います。

さらに言えば、「主催者側が独自に規制やルールを設けた結果」でもあると思っています。このイベントが発足して15年近く経つわけですが、その間にアニメ系のライブイベントにおけるルールやマナー、ファンの民度は大きく多様化したと言わざるを得ません。あるところは光り物全面禁止、あるところはボタン電池必須、などなど。某王国のように恐ろしいくらい統制が取れている現場もあります*2
これらが同じ会場にぎゅうぎゅうと集められて開かれるのがこのイベントです。価値観で対立がおきてもおかしくない。ファンとファンの間にも、場合によっては埋まることのない溝が生まれているというのが現状なのです。

 

本物の厄介は常識のものさしでは測れない

とはいえ、運営の今回の措置は突然のスーパーバインドではなく、度重なるヲタクの明らかに度を越した行為の産物によるものでもあります。

SNSのツイートレベルの信ぴょう性ではありますが、これまでも過去のイベントでは、頭に蜂蜜やキムチを被る、ライブ中に突然パンや牛丼を食べる、ある曲で前方に向かって突然駆け出すなどの奇行があって、その度にファンの民度が疑われるということが数年前から繰り返されてきて、そして去年はついに下記の通り、逮捕者が生まれる事態になりました*3。これを以ていよいよ対策に乗り出すことになったのだという推測は容易につきます。

 

www.sankei.com

 

考えてみて下さい。あなたはどういう状況に身を置かれた時、「ライブ会場にこっそりゴキ○リを数十匹持ち込んでライブ中に撒く」という発想に至りますか?自分は30分くらい考えましたが、全く理解できませんでしたし、意味が分かりませんでした。

常人の発想で、そんな人はいないと思います。「ライブ中にゴブリを撒いてはいけません」というルールなんて設ける必要はないでしょう。なぜなら禁止するまでもなく、やるひとはいない(と、考えられている)からです。「ライブ中に牛丼を食べてはいけない」「ライブ中にキムチを頭から被ってはいけません」というルールがないのも、同じような理由でしょう。逆にそんなライブが(アニサマ以外に)あるなら教えて欲しい。

オタクがステージ上の演者からレスをもらいたい、認知してもらいたいという思いで突飛な行為に走るというのはありがちです。他の人より大袈裟にパフォーマンスしてみたり、MC中に叫んでみたりというのはその一環だと思います。気持ちは・・・わからんでもないです。まあ自分ではやろうと思いませんが。
これに対し、「ライブ中ゴキブ○を撒く」というのはそんなものではないと思います。同じオタクの立場からしても最初から最後まで意味が分かりません。「認知してもらいたいから○キブリを撒いた」のだとしたら、思考回路が捩じ切れているとしか思えません。どこを調べても犯行動機が書かれていないのがこの事件の一番恐ろしいところです。

 

自分もかつて、未知との遭遇をしたことがあります。
とある芸人さんが主催する、「アニワラ」というイベントでのことでした。オルスタのイベントで、様々な声優さんやアニソン歌手が入れ代わり立ち代わり、歌ったりコントしたりするイベントでした。

後ろからの強烈なモッシュに耐えながらお目当ての方々のパフォーマンスを見終えたぼくは、一旦激戦区から脱出するため、スペースのある後ろに下がってイベントを見ていました。

そして、忘れもしない、某黄色と緑の探偵服を身に纏った2人が、「ぎみぃみるきぃ」という歌を歌い始めたときでした。自分の真ん前に立ったオタクが、突然あるものを頭上に掲げ始めました。なんだろうとそちらに視線を移したぼくは、目を疑わざるをえませんでした。

彼が掲げたもの、それは、でした。

1ミリも意味が分かりませんでした。なぜ鯖なのか?自分が知らないだけで、実はミルキィホームズは鯖と縁があるアニメだったのか?それとも「光り物」と引っ掛けていたのか?そもそもどうやってこのオールスタンディングの会場に持ち込んだのか?

その歌の最中、彼はずっと、ぼくの真ん前で鯖を掲げ続けていました。ほんのりと鯖の生臭い臭いが鼻をつくようになり、全く理解が追いつけない中でステージに目を向けたとき、掲げられた鯖に対して、困惑の表情を浮かべる佐々木未来さんの顔を、自分は生涯忘れることはできないでしょう。

コールやヲタ芸は被害者なのか、加害者なのか

ここまでで、もし「先の逮捕案件があって、よりいっそうの取締強化に乗り出した」結果が冒頭のガイドラインなのだとしたら、コール・ヲタ芸が禁止になったのはそれ自身の害悪性というより、その先の犯罪まがいの行為のために網が広げられた結果、ついでに犠牲になったと解釈できなくもありません。
家虎を始めとしたコールなどに対する、某プロデューサーをはじめとしたバッシングは、今年のアニサマが終了して以降、急に聞こえるようになったような気がします。単に変な見方をしすぎなのだろうとは思いますが、ブラフだったのではないかという気がしてならないんですね。

勿論真意は文意にある通りだと思いますので、それ以上の詮索は無価値ですし、個人的な意見としては、過剰なコールやMIXがあろうがなかろうが、それによって害されたと思った認識はないのでどちらでもよいというスタンスなのですが、このガイドラインそのものについて釈然としない原因はそこにあります。

ただはっきりしていることは、本物の厄介は

  • 「自分たち*4のモラル・尺度では通用しないことをしようとしてくる」ということ
  • 「どういう方向性であれ、ルールの網を掻い潜ってグレーな行為をとろうとする」こと

だろうと思います。それは勿論当事者である運営側が一番良く知っているはずです。だからこういうふうに全方位的に沈静化できるようなガイドラインを立てようとなったんでしょうね。この試みがどう転ぶかは終わってみないと分かりませんが。

このイベントに参加して今年でかれこれ10年目になりますが、幸いにも、自分の周りでこういった奇行に走るオタクに遭遇したことはありません。おそらく今年もまた、オタクは悪知恵を凝らして挑んでくるでしょう。各アーティストのパフォーマンスと共に、そちらも注目してみたいと思います。そしてできれば、自分と関係ないところでやってほしいなと願うばかりです。

*1:「咲きクラップ、MIX、コールなど、いわゆるオタ芸と称される応援行為」という、把握してるんだかしてないんだかよくわからない十把一絡げ感とか

*2:自分がすきな茅原実里さんの現場では、オルスタ会場でファンが光り物を振っていましたが、これもある意味ファンの多大な理解によって成立しているものだと思います。一歩間違えば危ない

*3:Twitterのフォロワーさんも被害を受けている旨のツイートをしていて、これはいよいよ深刻だぞと思ったのを覚えています

*4:運営者やアーティスト、一般の参加者

自分の考えるチケット転売問題について

www.itmedia.co.jp

ぼくが「チケトレ」という公式のチケット二次販売サービスが立ち上がった時、(まあ、これがデファクトスタンダードになることはないだろうな)と思いましたし、クリティカルな一手にはなりえないとも思いました。案の定、既存サービスと対して変わらないプロダクトだったために、手数料の高さなどを巡って、(自分で見かけた範囲内で)利用者の意見は懐疑的なものが多いです。

 今一度、自分がこの問題についてどう思っているかを明文化する目的で書きます。自分の考えを自分で改めて確認したかったからという理由と、自分も参加するつもりで購入したけど行けなくなってしまったイベントのチケットを、上記のようなチケット二次販売サービスを通じて売りに出すことがあるので、そういう「転売者」としての立場からオピニオンを残しておくのは意味があるのではないか、という点からです。

 

高額転売が起こるのはどのような場合か

参考までに大前提。多分こういうのは経済学専攻された方のほうが詳しいと思うのですが、主に以下のようなケースでしょうか。

  • そもそも需要に対してキャパシティが小さい

好例が林原めぐみさんのファーストライブです。中野サンプラザは申し訳ないけど足りない。おおむねアーティスト・出演者の人気、イベントそのものの希少性などが動かしているのではないでしょうか。

  • いわゆる「良席」の場合

良いポジションで見たいという潜在需要に訴求する例。
このケースですと、前方座席のチケットをゲットするためには金銭的・労働的対価が必要な場合*1が多いため、そのコストを上乗せして転売する、というケースも多くありそうです。

チケットがソールドアウトしてしまって正規購入できる方法がないために出品者が足元を見てくるケース。↑↑の要因も大きいと思いますが。

「行けなくなった人」と「転売目的の人」が一緒くたにされている

この問題の一側面として、「行きたかったけど(何らかの事情で)(やむを得ず)行けなくなってしまって」転売に頼るケースと、「最初から行くつもりはなく、差益を得る目的で」転売するケースが同一視されている点があります。
個人的な考えですが、不正転売として糾弾されるべきは後者"のみ"であるべきと考えていますが、現状、「行きたいけど行けなくなった人」に対する正式な転売の窓口がなく、某キャンプや某ストリートなどの二次販売サービスに出さざるを得ない状況が多いように感じます。また、そういったサービスに後者が蔓延っているため、サービス全体、ひいては転売そのもの*2が悪であるかのように言われている、というのが現状だと思います。

ただ前者がみんな被害者なのかというとそういうわけでもなくて、前者のような出品者が定価以上の値段で出品するケースも多々あります。
これは後者*3が、上記の高額転売の起こりうるケースなどを鑑みて、独自に定価以上の値付けをすることによって、その二次販売サービス内でのベース価格が決まってしまい、後からの出品者が次々その値段をベースに出品するようになる、という問題が大きいように思います。
出品者によって自由に値付けできるというシステムの性質上、この部分は各出品者のモラルに存するところが大きいので、誰であれ擁護する理由はありません。ただ、誰しも加担・増長する可能性がある、というのは罪深いところですね。

「本人確認」の闇

上述した、「転売」= 「闇」の図式によって生み出された悪の一つが「本人確認」です。

lineblog.me

転売屋から購入したチケットを無効化するために現場で本人確認を行い、購入者と別人であれば入場を拒否するというシステムである。これは、間接的に転売屋のチケットを防ごうとしているものだが、結果としては来場者の負荷を高めているだけなのだ。

「高額転売を買わないからライブが見られない」と「高額転売で買ったがライブを見れないかもしれない」の二択にしているだけだ。

本人確認はそもそも排除の性質しか持っていません。オリラジ中田さんもブログに書かれていて、上記の場合は「行きたかったけどチケットを確保できなかった」参加者の立場から述べられたものでしたが、これは転売をしようとする立場からも同じことがいえます。

大前提として、自分が二次販売サービスを通じて転売する場合は定価以上の値段を付けません。*4明らかに定価を超えて取引されるであろうチケットについては極力Twitterで呼びかけています。
なぜそんなことをするかというと、以前定価で出品し、落札された某アーティストのチケット*5が、そのまま落札者によって倍の値段で出品されたことがあるからです。三次販売、とでも言いましょうか。勿論、行きたいのに行けない方にお譲りするというのが本意だったので、それ以降は面倒でもTwitterとかを使ったほうがよいなと思い至ったわけです。

上記の「本人確認」は、あらゆるチケット転売者に対して抑制効果を持ちます。それは「行けなくなってしまった」転売者に対しても、です。譲りたいのに譲れない、空席が生まれてしまうし、購入者もファンも得しないという別の視点からのジレンマが生じます。

そしておそらく、これは増えることこそあれ、減ることはないのではないでしょうか。なぜなら1つだけ、この仕組みの中でメリットを享受しているのが他ならぬイベント主催者だからです。
イベント主催者からすれば、既に空席分の売上は立っているので損得の心配はしなくていいし、上記による締め出しによって、イベントの催行に影響するほど空席が出るという想定はしにくいからです。実際検挙率は1%もないのではと思いますが、ドラスティックな対応をすればするほど、SNSで拡散されるので言い方は悪いですが見せしめ的な効果が出ます。コストも人件費が少々上積みされる(あるいは0?)だけですし、運営フローを大きく変える必要もありません。苦しんでいるのはチケットを持っていないファンと譲りたいファンだけなのです。

「公式」を担保すべきなのは協会じゃない

jp.techcrunch.com

これによると、

ぴあは日本音楽制作者連盟日本音楽事業者協会コンサートプロモーターズ協会、コンピュータ・チケッティング協議会の4団体と協議し、今回のリリースに至った

とあります。

おそらく、ぼくらが参加するようなライブやイベントを主催・企画・制作するような企業はたいてい、これら団体に加盟しているとおもいます。チケットに関して責を担うのがどこなのかは分かりませんが。多分主催者だと思います。

ただ、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、既に一部のアーティストは、高額転売対策の一環として専用の流通サイトを作成・公認化して二次販売を承認しているところもあります。例が以下。

チケットシェアリング

つまり、こちらで二次販売できる「公式」サービスがすでにあるアーティスト側からすると、自前でオフィシャルな二次流通経路を用意したのに、わざわざチケトレに乗り換えるの?という疑問点はあります。ざっくりいうと御上と実際の現場とで動きが噛み合ってない。公式の二重化が起きているわけです。

これは推測ですが、今後「アーティスト(イベント)公式のチケット二次販売サイト」は増える可能性が大いにあると思います。
本来的にはそれぐらいの粒度で「公式」を担保するのが正しいあり方だと思うのですが、チケット二次販売サイトはおしなべて登録コストが非常に高い*6ため、ユーザビリティに欠けますし、
主催者側からしても、今や一般販売に先駆けて先行抽選を行うのが当たり前になっている中で、全てのチケットに対して二次販売経路を管理して面倒を観るのは厳しいというのもありそうです。
各運営が試行錯誤する中生まれたチケトレと、今後どのように折り合いをつけていくのか、また他の二次販売サービスに対してどう向き合っていくのか。このあたりは個人的に興味があるので、主催者側の見解を聞いてみたいですね。

 最適解がない現状、将来の展望

 まあ、性善説的世界観ですが、SNS全盛の時代、そもそもチケットのやり取りなんてそこで個々でやりとりをすればいいんです。そういう意味で、こんな二次販売サービスなんて必要ないというのもある意味そうなんですよね。

おそらく、ユーザーはチケットを転売する時に、どこの窓口が最適なのか、自分のチケットに合わせて選びながら二次流通するフェーズが暫く続くと思います。なぜならチケットをリセールするのに抜本的な最適解が未だないからで、この先もそれができる保証はないと考えています。悲しいけれど。

そしてもはや、この現状を「どこに責任がある」という次元で論じることはできないと思います。主催者、チケット販売サイト、二次販売サービス、イベント運営*7、参加者、転売者。全てに利権があり、責任があります。理想論ですが、自分は自分でできる責務を果たしつつ、全方位的にうまい落とし所が見つかることを祈るばかりです。

*1:例えば、円盤を買わなければ行けなかったり、FCに入らないといけなかったり、云々

*2:「転売」という語の印象も含めて

*3:前者の場合もある

*4:以前はチケットのいろいろな手数料分を補填するために少し上積みしていたことはありますが、今はもうしなくなりました

*5:それなりに人気のある方で、某キャンプでは定価の1.5~3倍くらいの値段がついていました

*6:個人情報の入力にとどまらず、本人確認書類の提示が必要

*7:主催者と一の場合も

オタクについて私観2017

以前から書いてみたいと思っていた「にわか論」と「一時他界許容論」。要は好きと嫌いについてのおはなし。

まとまっていませんが、書かないと書けないなと思ったので、そのまま書きました。ニュアンスだけでも汲み取っていただけたらうれしいです。

 

本記事内では便宜上、所謂エンタテインメントのあれやこれやをひっくるめて「コンテンツ」として表記します。
他にもっといい単語があるのだろうとは思いましたが、自分の語彙力ではこれが限界です。他に適した単語をご存知でしたら、こっそり教えてください。差し替えます。

 

にわか論

「懐古厨」という言葉があります。昔を賛美し、現在を貶しがちな人への蔑称です。なんだか変に一般化されてしまった言葉のような気もしますが、コンテンツが長続きすればするほど、どのコンテンツにも存在しうる層だと思います。

そもそも、懐古厨がなぜ懐古厨たりうるのか、といえば、コンテンツそのものが何らかの方向へ変化している(あるいは「した」)から、と同時に、懐古厨は昔あった、変化する前のコンテンツを肌で感じているからです。今の10代がバブル景気の頃を賛美していたとしたら、(それはそれで面白い気はするけど)それは史実に基づいた賛美であって、実体験としての賛美ではありません。そこに生まれる説得力は、実体験が生むオピニオンにはとても勝てないと思います。*1

そうでなくとも、世の中、特にネット界隈はコンテンツの「リアルタイム性」に拘る傾向があるように思います。

例えば音楽。とりわけ何年も活動を続けているアーティストの音楽については、スタイルの変容についてはどうしても賛否両論が噴出しがちです。あの時期のほうがよかった、あの出来事をきっかけに方向性が変わってしまった、など。
それらをリアルタイムで目撃していたかどうか、そのときにそのアーティストを応援していたかどうか、そもそも産まれていたかどうか、に至るまで、いろいろな物差しでファンはファンを峻別してしまうのではないでしょうか。
キャリアが長くなればなるほど、ファンの年代も多様化して当然ですし、それが混在して共存いることがファンコミュニティとしてあるべき理想の姿にも見えますが、おそらくファン歴が浅くなればなるほど、その人は「にわか」とレッテルを貼られ、対等に扱ってもらえないことが間々あります。*2

 

声優の話をしますと、自分が深夜アニメやラジオなどを通して、声優の存在を知ったのが2005年前後で、それ以前の声優オタク事情について詳しいわけではなく、推し量るしかないのですが、確実に言えるのは、受容の手段は今よりも遥かに限られていて、シンプルであったと思うんですよね。ファンとして応援するために何をしたらよいか分かりやすかった。
だから一つのコンテンツを深く、(現在では考えられないほどの)時間を掛けて知り、私財を投じて入手し、はまっていくという行為そのものが、当時のファンにとって財産であり、ファンであることの裏付けになっていたと思うのです。

今、かつてほどこういった時間をかける必要はなくなりました。*3空き時間や移動時間にアニメを見ることもできる、気になった音楽があればその場で買ってすぐ聴ける、などなど。
更に、コンテンツはもりもりと多様化・多態化し、ぼくたちは様々なコンテンツにどんどん時間を奪われるようになりました。何かにハマれば、何かが疎かになる。何かを選ぶということは、無数にある他の何かを捨てることになる。表現が乱暴ですが、様々に垂らされた釣り糸のなかから何を咥えるかという。
オタクという文化がかつてよりカジュアルになったのも、無関係ではないと思います。間口は広くなり、より気軽に足を突っ込むことができるようになった。それは他のコンテンツでも例外ではありません。

ぼくは「にわか」はなくならないと思っています。なぜなら、こういうコンテンツの消費形態に慣れてしまった人、あるいはそれを現在進行系で提示されているずっと若い人たちが、旧来の意味での「ファン」になるのは容易ではない気がするから。

 「広く深く」がいいよね、というのは当たり前ですが、先述したとおり、自分の中で全てを同じように併存させるのは難しく、どこかで折り合いをつけ、自分の中で優先順位に則って動かなければならない、広義でのサブカルチャー全般は既にそういう領域に達していると思います。

一時他界許容論

↑と繋がるところなのですが、現代社会において、コンテンツの数はかなり増え、ファンは分散化しています。ここ数年でどれだけアイドルユニットが誕生したでしょうか?ニコ生やSHOWROOMやAbemaなどなど、ライブストリーミングの普及で露出の機会もあちこちに増え、追いかけ続けること、「ファンであり続けること」は少しずつ難しさを増しています。

一つの顕著な現象が、相次ぐ声優さんのソロデビュー現象です。

 

huurai0.hatenablog.com

 

2016年、14人の女性声優さんがソロデビューを発表してあちこちで話題になりました。*4

声優さんが所謂アーティストとしてソロデビューする流れはずっとありますが、昨今多いと感じるのは、アーティストとしての素養*5を持った状態で業界に入ってくる声優さんが増え、個人としての知名度がそれほど重要視されなくなったから、寧ろ活動のアイコンとして早期に自分の曲、スタイルを提示することが活動がスムーズになる、ということなのだと感じます。ハードルが低くなったわけでもなんでもなく、ある程度即戦力として入社してくる新入社員のようなイメージでしょうか。

こういった声優というコンテンツを幅広く好きでいるファン(いわゆるDD)にとっては悩ましい時代になりました。アーティストデビューするとなれば当然イベントやライブで露出する機会も増えます。一気に続発することにより、DDからすれば、時間的制約・金銭的制約など、様々な理由から”絞る”必要が生じるのは当然のことだと思います。
でもやっぱり人間だから、手を出してみたけど、いろいろあって、「戻る」ということも、あるはず。ただ、少なからず葛藤はあると思うんですよね。
いや、そんなずべこべ言ってないで戻りたくなったら戻りゃいいじゃん、それはその通りなんですけどね。

 

ひとつ、実体験の話をします。

前の記事にも、その前にも書いたとおり、自分は横浜DeNAベイスターズのファンです。最後に優勝した年から応援し始めたので、そこから数えると20年弱になります。しかしながら、その18年間、ずっとベイスターズを応援していたかというと、そんなことは決してありません。
「ファンをやめる」というとかなり仰々しく聞こえますが、数年間、ベイスターズの野球を見るのをやめていた時期があります。
「もうやめる」と決めたわけではなく、気がついたら見るのをやめていた感じなのですが、かといって完全に離れていたわけでもなく、スポーツニュースなどを通して、勝ち負けであるとか、誰が活躍したといったベイスターズの状況は知っていました。なぜやめたのかといえば、単純に弱すぎたからでもあり、球団のベイスターズ愛が感じられなくなったというのもありました。
その間にベイスターズはいろいろなことがありました。内川や村田がFAで他球団に移り、ずっとネタにされるようなお粗末なプレーもあり、挙句の果てに球団自体が横浜からなくなるかもしれないとまで言われました。自分がベイスターズをまた応援しようと思い、戻ってきたときには、親会社はDeNAに変わり、監督はものすごく喜怒哀楽に溢れた人になっていました。
今、ベイスターズ横浜スタジアムで試合をするたびに、大勢のファンがスタンドを埋め尽くし、チケットは容易にとれません。これは数年前からすれば考えられないほどの盛況ぶりであり、選手やコーチ陣、そして球団スタッフの努力の成果でもあります。
しかしその裏には、あまりにもベイスターズが弱くて、あちこちの客席ががらがらだった時からずっと、スタジアムに駆けつけ、声をからして応援していたファンがいます。そういったファンの存在がなかったら、今こうして横浜にプロ野球チームが存在していたかどうか。それも確かにあるのです。
だからなのか、そういったファンの中には、その時代に応援していなかった奴は真のファンじゃない、チームを応援する資格はない、という人もいます。
その発言がどこから起因するものなのか。単にチームへの愛情なのか、自分が支えてきたという自負なのか、お前らもあの時の辛さを味わえというかなわない不公平感なのか。

こういった話は、ここに限らず、いろいろなところで起こりうるのではないでしょうか。コンテンツの息が長くなればなるほど、ファン同士の間で同一の価値観・物差しを共有することが難しくなっています。そういう中で、どういうコミュニティやつながりが生まれるのがよりよいのか、コンテンツの出し手だけでなく、受け手であるファンも模索する必要があるような気がします。

*1:今回の話とは別種ですが、たとえば戦争がそうであったように。

*2:もっとも、対等に扱ってもらえることが必ずしも良いとは限らない場合もありますが・・・

*3:ついでに言えば、金銭を掛ける必要もなくなりました。こっちの要因も無視してはいけないとおもいつつ、それはまた別の話。

*4:人数だけで言えば一昨年(2014)のほうが多いのですが、下半期に入ってデビュー発表が一気に集中したことなどが要因としてあるかもしれません

*5:たとえば歌唱力とかダンスとか

Tadokorockと水戸レポ

少し前の話になるのですが、4/9に水戸ライトハウスで行われた田所あずささんのライブに行ってきました。

 

この水戸公演がライブツアーの初日ということもあり、期待度は非常に高いものでした。
ぼくがころあずを好きになったのはかなり最近なのですが、いつの間にかそんじょそこらのロックバンドもびっくりなヘビーチューン路線になっていてああこういう声優アーティストは最近いなかったなあと思って楽しいです。箱キャパが小さめなのもよい。

水戸という地には特に思い入れはありません。数年前、コミケットというイベントがこの地で行われた時に、友達に頼まれて某人気サークルの新刊を買いに行ったとき以来ですね。あの時のことはあまり思い出したくない。
ちなみにあの時からうめ物語という一定の方面から絶大な知名度を持つお酒が発売されたんですね。当時はまだ未成年だったので買えもしませんでしたが・・・

 

水戸へ向かう

常磐線に乗って東京から水戸へと出ます。柏・我孫子あたりまではまだ都会の雰囲気がのこっていますが、

 

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 取手を抜けると田園風景が続きます。高い建物が一切ないというのは違和感ないんですけど、改めて考えてみると新鮮ですね。

 

 

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水戸駅につくと、有村架純ちゃんが迎えてくれました。どうやら4月の朝ドラの舞台が北茨城ということで、PRしているみたいですね。ありとあらゆる柱に有村架純ちゃんがいる世界・・・最高かよ・・・

 

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適当に名所でも見ようかなと思ったのですが、思いつく場所もないし、唯一思いついた偕楽園は梅のシーズン終わってたし。京成百貨店ぐらいしか行くところなかったです。でも駅前は色々出来て都会感を滲ませていましたね。

 

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マンホールもこんな感じです。

 

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水戸駅付近で気になったのがここのお店。なんでも感が強め。あと上のキャラクターはスーパードンキーコングシリーズにいそう。

 

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写真撮れなかったんですけど、個人的には「納豆個人消費量日本一奪還!」という張り紙が行き交うバス中にしてあったのが面白かったです。執着がすごい。

 

ライブは動物園

荷物を預けてライブが始まりました。今回の会場は水戸ライトハウスというところで、バンドヲタなら知ってるくらいのところではあるのですが、まさかキャパ300ぐらいしかないとは思いませんでした。待ってるときはきゅうきゅうでしたが、開演後は定番曲でイキリヲタクが前へ前へとモッシュするので後ろの方に退避したら楽でした。何も知らない方からすると野蛮な光景なのですが、本人たちはプロレスでやっていて、しんどいのも含めてそういうものだと思うので、当事者たちはさほど気にしていないと思います。ぼくもそんなに気にしないです。

名物となりつつあるころあずのMCですが、今回も落とし物のヲタクのメガネを勝手にかけたり、地元凱旋だからか、母校の中学の名前をうっかり言ってしまったり、バンドメンバーを中途半端ないじり方をしたり、ぶっ飛んでいました。歌ってるときはかっこいいのに、MCの時はゆるい感じなのがいいなあと思います。というかぼくが推しているのはそういうのばっかです。人間的というか。東京公演にも行くのでそちらも今から楽しみです。

 

水戸の夜は短い

帰り道、ご飯を食べて電車を待ってきたら大洗鹿島線が飛び込んできたので、写真を撮りました。これが折り返しで大洗行きになったので、ガルパン聖地巡礼にはお世話になる電車なんでしょうね。

 

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あと、同じ特急電車にさっきのライブのバンドメンバーやスタッフが乗っているとびっくりしますね。似たような現象を2~3回目撃したのですが、慣れません。

 

最後に水戸で一番面白かった写真を貼ります。突然目に飛び込んできたFalloutの広告。馴染みすぎ。

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4月の話

独り言だよ。

 

4月になって非常に暖かくなったなと思います。3月の末周辺が雨降って肌寒かったりしたから余計ですね。
ということは、球春到来ということでもあり、もう少しすると競泳の日本選手権が始まる時期でもあります。プロ野球ファンであり、学生時代に競泳を嗜んでいた自分としては色々思い入れのある月でもあるのです。

ぼくはなぜ、4月が年度初めと呼ばれ、形式的な1年の始まりとなっているのか分かりませんが、これだけうら暖かく、桜の花びらも鶯も飛び交うような陽気であることを鑑みれば、スタートにしたくなる気持ちはわかるなと思います。
ちなみにアメリカに至っては大学のスタートは9月ですからね。なぜなのか。ハリーポッターでは夏にホグワーツに向かう描写がありましたから、イギリスでも9月が始業なのでしょうね。中国では未だに旧暦で動いているところもありますしね。旧正月とかね。文化的な区切りと天文学*1的な区切りは必ずしも同居しないということの証左ですね。

若い人たち

弊社にも大学や各種学校を巣立った若い人がたくさん入社しました。みんなスーツをビシっと着てやる気に満ち溢れているなと感じます。
さらに合わせて、就活生の動きも活発になり、弊社やその近隣の会社にリクルートスーツを着た若者を多く見かけるようになりました。新入社員と就活生がダブルで動いているということで必然的に街を歩く人の平均年齢が下がり、若いっていいわねと思う反面、全員判を押したように黒髪で黒系のスーツで、女子はベージュのコート、という具合で、誰が誰だかわからんわと思いました。人事部の方々には多少の同情を覚えざるを得ません。そりゃカズレーザー目立つわ。

 

とはいえ職場は

会社でも組織改編があったり席替えをしたりして、むりやり新年度感出してきてる感じもしますが、こういう脳を使った作業が多い職業の場合、マンネリ化というのは最も危惧すべき自体の一つではあります。程よく環境面で刺激が加わることによってモチベーションを保ったまま仕事に臨むことができると思います。

ただ、いくらこうやって変化させたからといって、得られないものが2つあります。「華やかさ」「若々しさ」です。

まずうちの部署には、女性がいません。老いも若きも含めて。男だらけです。むさくはないけど華やかさが足りない。
あと、まだ新入社員は研修の真っ最中なので、若い風が部署内に吹くのはまだ先、夏場になってからでしょう。ちょこちょこ自分のような中途の方が入社してはいますが、悲しいかな、遥かに年上なんですよね*2。楽しく働くためには、今までのスキル云々よりもエネルギーを持った自分より若い方々に入ってきてもらうしかないのです。*3
IT業界が賑わってきているというのは今に始まった話ではなく、ここ数年、自分が飛び込むより遥かに前だと認識しているのですが、大学生とか、若い人たちからするとそうでもないのかな?と思ったりしました。たのしいよ。

*1:カレンダー・暦の類は学問的には何に分類されるんでしょうか。天文学だと思っているのですが自信はありません。

*2:ただ、やはり30〜40代の現役エンジニアは、皆さん一定の経験をお持ちで、含蓄やノウハウを多数持っており、そういう話を聞くだけでも良い勉強になるのは間違いないです

*3:これにプラスして技術があれば言うことないですけど

悩み

書きます。

 

GWに新潟に行くことになりました。理由はまあ単純で、自分の好きなバンドがそこでライブをやるからで、だったらお前は関東地方の比較的都市部に近い場所に居を構えているのだから東京の公演に行けばいいじゃないか、という話なのですが、生憎東京での公演は平日で、しかも今アサインしている案件のリリーススケジュールとドンピシャで重なっているため、その日休むことも定時で帰ることもできなさそうだと判断したからです。つらい。

 

別に新潟に行くことになにか抵抗があるわけではないです。金銭的にも時間的にも。ただ遠征であることは変わりないし、人生で初めて新潟県の地を踏むことになるので、いささかの恐怖はあります。あと新幹線で2時間もかかるのか、意外と遠いぞ新潟と思った次第。

 

悩ましいな・・・と思ったのは、新潟駅の新幹線の最終がおよそ21:30頃には発車してしまうということ。そのライブが始まるのが17:30なので、ライブに3時間余り、終わって駅に移動するのに3~40分とすると、ご飯を食べる余裕がありません。ライブで飛んで騒いでへとへとになった状態ですから、ある程度の時間的な余裕は欲しいですし、なによりせっかく新潟に来たんだから、美味しい海の幸とか食べたいじゃないですか。

 

さらに、ライブの時間が3時間余りと書きましたが、本当に3時間あまりで終わるのか?という疑念もあります。要はケツが読めない。
声優ライブやアイドル系のライブであれば、場数を重ねてますので(このライブはこれくらいで終わりそうだな)と予想する事ができるのですが、ロックバンドのライブってそこまでたくさん行ったことがないので、不意に長くなったりしそうで怖いんですよね。終電が差し迫っているから泣く泣くライブの途中で抜けなければならない・・・というのは悲しい。

 

万万が一、間に合わない!となった場合の回避策として、高速バスがあります。高速バスなら23時台まで便が出ているので、ライブが終わった後、飲み屋でぷしゅーっとやったあとガン寝しながら帰ることができます。着くのも翌日の早朝なので、まあ予定はありますがさほど影響を与えることはありません。

 

ただ、実は新幹線を使ったほうが高速バスより安く行けるのです。えきねっとの「お先にトクだ値」という割引サービスには、35%OFFという悪魔のような割引レートが設定されているので、7000円弱ですみます。
勿論バスで極限まで安く抑えようと思えば5000円台とかで抑えるのは可能ですが、6時間以上乗るわけなので、4列座席のエコノミークラスみたいなクソ硬い座席のバスはアウトオブ眼中です。少なくとも3列、できれば連席になっていない、独立シートの席構成になっているのが望ましい。なので、このような条件だと8000円前後が価格帯の中心のようでして、新幹線よりどうしても高くなってしまいます。新幹線ならその日のうちに自宅に帰り、慣れたベッドの上で眠りにつくことができ、眠りの質が全く違います。

 

現地でゆとりのあるスケジュールを組みバスで帰るか、翌日の予定を重視しその日のうちに家に帰るか、悩ましいところです。きっと週末、東京に遠征で来ている方々はこのようなジレンマを抱えながらイベントに参加しているのだろう、と少し気持ちがわかったような気がします。